ツキノワグマに襲われたイヌワシの巣は、巣材の半分以上が掻き落とされていた。
絶壁から張り出した小さなかん木の根元に、直径60cm足らずのイヌワシのものとしてはかなり小さい巣がのっていた。通常のイヌワシの巣は、直径100〜150cmくらいの大きさである。もともと巣を造る場所としてはいいところではない。巣を支えているかん木も、クマによって折られている。
イヌワシの巣場所としては、雨や雪が当たらないように巣の上がオーバーハングしていて、巣の土台となる水平なテラスがある岩場がベストである。こうした条件のいい巣場所はなかなか無いものだ。この巣はオーバーハングがなく、雨や雪がまともにかかってしまう。
ザイルで絶壁を降下して巣まで降りてみて初めて、巣を支えているかん木がクマによって折られていること、かん木の根元は小さくてこれ以上巣を広げられないこと、オーバーハングが無いことなど、現在ある巣を補修するだけでは営巣地として不十分であることがわかった。
巣から約7m横の同じ岩壁にオーバーハングした場所がある。クマがイヌワシの巣へ登ってきたのも、このオーバーハングの下の割れ目を伝って来たのだ。この割れ目に大きな石を敷き詰めてクマの通り道を封鎖すると、うまい具合に巣をかけるテラスが出来上がる。オーバーハングと巣をかけるテラスのあるなかなかいい条件の営巣地になりそうだ。予定外ではあったが、イヌワシの巣を基礎から人工的に造ることになった。
人工的に巣を造るとひとことで言うと簡単そうであるが、そこは断崖絶壁、ザイルを頼りに宙づりでの作業である。また、イヌワシに完全な人工の巣を提供するという日本初の試みでもあるのだ。
作業は、イヌワシが営巣地にあまり関心を示さなくなる夏の終わりから秋にかけて行った。人間への警戒心が非常に強いイヌワシを刺激しないための最低限の配慮である。
作業には多くの人間が必要である。巣まで降下して作業する人2名。降下する人のサポート1〜2名。巣のある岩壁の下からのサポートと、テラスに敷き詰める石や巣の材料となる枯木を拾い集めて巣の位置まで引き上げる人2〜3名。1日に5〜7名ほどの人間が必要である。
この人工巣造りには、信頼できるイヌワシ仲間が集まった。皆それぞれ各地のフィールドで研究・保護に熱心に取り組んでいる仲間達だ。遠いところでは400kmもの道のりを車を運転してかけつけてくれたのだ。
早朝から登山し、岩場に張り付いて泥まみれになって夕方まで巣造り。夕方からは、沢へ下ってのんびりと疲れを癒しながらキャンプを楽しむ。
こうした毎日をくり返すこと10日間、のべ60人もの人間がかかわって、新しいイヌワシの巣が完成した。出来映えは上々。十分に満足のいく巣が完成した。あとはイヌワシのお気に召すかどうか。どんなふうに巣を仕上げるかはイヌワシしだい。冬から始まるイヌワシの巣造りで、さらに巣材を積み上げ、彼らの思い通りの巣を完成させてくれればそれでいいのだ。