野生のいぶき2023年8月22日

このところ毎日のように伊吹山の山頂にはガスがかかっている。昼前になってガスが徐々に上がり視界が利くようになった。
待ってましたとばかりに上昇気流に乗ってイヌワシペアが現れた。草地が広がる斜面の林の中に子ジカを見つけて急降下した。子ジカは生まれて3ヶ月ほど経っているので跳躍力もついて力強くなっている。イヌワシの攻撃をかわして草地へと走り出てきた。再度林の中に逃げ込んだが、イヌワシも林の中まで飛び込んで雌雄が交互に攻撃を仕掛ける。

イヌワシの攻撃は2〜3分間続いた。子ジカは右へ左へと走り回り、やがて母ジカと合流できた。子ジカは母ジカと他の2頭の雌ジカに囲まれて、イヌワシの攻撃から逃れることができた。

これらの行動は、カメラ機材のセットが間に合わずに観察だけになってしまった。撮影できずに観察だけというのは悔しいものだが、何度も見てようやくカメラに収められたシーンは数多い。
その後のイヌワシは、ペアや単独で獲物を探して出現した。しかし獲物に襲いかかるような場面はなかった。
翼と尾羽に欠損が多く、特に雌はボロボロの印象だ。雛への給餌のために十分な食事ができず、栄養不足で換羽が順調に行われていないためではないだろうか。他のイヌワシペアでも、子育てを終えた夏から秋に羽の欠損が増えてみすぼらしくなっている個体を時々見かける。

イヌワシが子ジカに襲いかかった草地に1頭のツキノワグマが現れた。草地を横切り林の中に姿を消したが、しばらくするとまた草地に出て来た。それを何度か繰り返している時に、子ジカ1頭を含む7頭のシカの群れがクマを見つけて逃げて行った。そのシカたちをクマが呆然と見送っていた。あてもなく歩き回っているように見えたクマは、この子ジカを狙っていたのかもしれない。



ツキノワグマがシカを追跡

ツキノワグマはカモシカやニホンジカの幼獣をたびたび食べているようだ(子カモシカの捕食の様子は2013年9月のブログに書いた)。茂みを乱暴に歩き回って子ジカを探しているのを時々見かけることもある。2ヶ月ほど前にはシカを食べている母子のクマを目撃した。
その時食べていたのは子ジカだと思われた。ツキノワグマは立派な角を持ったニホンジカの雄でも捕食することがあるが、多くの場合子ジカを狙っている。

先日、ニホンジカを狙うツキノワグマを観察した。クマのほうは母グマと昨年生まれの2頭の子グマだ。シカを狙っているのは母グマだ。子グマは母グマと一緒にいるだけで狩りができるわけではない。
母グマが斜面上方に鼻先を向けて臭いを嗅いだ後、その方向へ早足で登って行く。その先にはシカの群れがいる。その中には子ジカもいる。クマはその子ジカを狙っているのだ。シカは別のところにも何頭もいるのに、この群れを狙ったのは子ジカがいるからだ。臭いだけで子ジカがいることを察知している。

シカはクマが近づいて来たことにいち早く気づいた。警戒しながらクマとの距離を保って逃げて行く。こうなるとクマはそれ以上近づくことはできない。あっさりと諦めて、母子3頭は方向を変えて去って行った。



「伊吹山のイヌワシ子育て生中継」ダイジェスト2023 孵化・兄弟闘争

母ワシは雪の日も強風の日も昼夜抱卵を続け(雄ワシは1〜2回/日程度短時間だけ交代)、産卵から42日目の4月11日に1卵目の雛が孵化した。白い綿毛に覆われた小さな雛は、か弱そうで頭は安定せずにフラフラしている。
巣には2日前に雄ワシが運び込んだ獲物がある。抱卵中は巣に獲物を運び込むことは少なく、巣の外で獲物を雌ワシに渡すことが多い。雄ワシは雛が孵化することを察知して巣へ運んできたのだ。孵化する2日ほど前には卵の中の雛が卵殻を少しずつ削って小さな穴を開けている。雛の鳴き声が卵の中から聞こえているので、雄ワシは雛が孵化することが分かっていたのだ。母ワシは空腹であるにもかかわらず、生まれてくる雛のためにその獲物には一切手をつけなかった。

雛が孵化して1時間後には母ワシはその獲物を雛に給餌した。雛は頭をふらつかせながらも小さな肉片を受け取り、いくつかを食べた。母ワシはだいたい3時間おきに給餌をした。
3日後の4月14日、2番目の雛が誕生した。こちらは産卵から41日目で孵化し、1卵目より1日短い抱卵日数だった。1番目の雛をニーナ、2番目の雛をミミと名付けた。
日本のイヌワシは、雛が2羽孵化しても1羽しか生き残ることができない。2羽育てるだけの餌を確保できないことが主要因と考えている。最初に生まれた1番雛は、2番雛が生まれる頃には少し大きく育っているので優位に立ち回る。2番雛が孵化すると兄弟闘争が始まるのだが、大きい1番雛が一方的に2番雛をつつく。2番雛は、怪我をしたり母ワシからの給餌を受けられなくなったりして10日以内に死んでしまうことが多い。
ニーナとミミの場合も例外ではない。ミミが孵化してから17日までの3日間はニーナのつつきはそれほどではなかったので、このまま2羽が育ってくれないかなーと淡い期待をしていた。18日になってニーナのつつきが激しくなってきた。ミミはニーナの攻撃を避けて逃げ回ったりうずくまったりで、母ワシの給餌を受けられなくなってきた。それでもニーナが満腹になって落ち着いた時に少しは給餌を受けることができた。
ニーナのつつきはだんだん激しくなって、母ワシの脚をつついたり巣の上の獲物につつきを繰り返したりと、相手の見境がなくなっている。20日にはミミの背中は綿毛を抜かれて皮膚が露出して血まみれになった。産座から離れて力無くうずくまり動かない。母ワシは産座でニーナを懐に入れて座っているが、ミミを引き入れることはできない。
翌朝、ミミは力尽きていた。獲物が豊富とは言えない日本では、避けられない宿命だ。これからはニーナが少ない獲物を独占することで成長をしていくことになる。



「伊吹山のイヌワシ子育て生中継」ダイジェスト2023 ニーナ救護の舞台裏



ニーナの救護へと急展開したことで、ライブをご覧になっている皆さんも戸惑われたことと思います。こちらの方針が180度転換した訳ではありません。今回のイヌワシライブは生態観察をするのが基本です。救護をするためのものではありません。
救護することに決めたのは、イヌワシの両親が子育てを断念したと考えられたためです。その根拠として餌の搬入頻度が非常に少ないことや雌親は1ヶ月近く帰巣していないこと、雄親による巣材搬送が7月20・25・26日に観察されたことがあります。イヌワシが繁殖失敗した場合に転位行動として巣材運びを始めることが知られており、20日以降の巣材運びは転位行動の可能性があります。

イヌワシは育雛期に巣材を搬入しますが、育雛後半になるほど搬入は少なくなります。今年の場合、巣材の搬入は少なかったにもかかわらず、巣立ち時期になって何度も搬入したのは転位行動の可能性が高いと考えています。
育雛放棄の場合、雛が生きられる可能性はありません。希少種が怪我をして動けなくなった時の救護と同様と考え、救護することを見据えて行動することにしました(7/26)。まず育雛断念を確実にするためにあと2日くらい様子を見る必要性を感じたことと、救護するにもこのアプローチ困難な巣へ行くための準備が必要なため、すぐにできる対応として巣への餌の投入に踏み切りました。(こうした対応は関係機関と情報共有しながら進めていますが、ここではその記載は省略します)

ニーナは7月27日に投入した餌を食べたものの翌28日には未消化で吐き出してしまいました。ニーナの衰弱はかなりひどい状況です。
28日の朝、クライマーのクッピーさんへ電話で打診。危険な岩場での作業で何かあった場合は自己責任であることや、営巣場所がわかる情報は一切他言しないことを条件としてお願いしたところ、当然のことと快諾いただきました。
2、3日のうちに救護に向かう可能性が高いが親鳥の行動によっては救護しない可能性もあるので、実施直前に再度連絡することにしました。それにもかかわらずクッピーさんの奥さんの「なぜすぐに行かないの?無駄になっても現地の近くで待機しておかなければ間に合わないのでは」という言葉に、クッピーさんは仕事を後回しにして登攀道具を車に積み込みすぐに出発されたのです。

車で移動中の13:19にニーナは巣から落下してしまいました。クッピーさんが伊吹に到着してすぐに現地へ急行となりました。
夕闇が迫る時間ギリギリでのアタックとなり、またアプローチがかなり困難なために時間との戦いでもありました。時間があまりない中で到着できるのかもわからない状況でした。そのため装備はできるだけ軽くする選択だったと思います。こちらからも捕獲の際の袋やタオル、捕獲用の網など準備はしていたものの、アプローチの負担になるためにそれを預けることはやめました。ニーナのところまで到着できればどうにかできると考えたからです。

うまく、そして素早い行動でニーナのところへ到着されました。予備のシャツがないことは分かっていましたが、衣服でニーナを覆ってくださいとこちらが伝えると、クッピーさんは間髪を入れずにシャツを脱いでニーナの頭や翼を覆って確保に成功しました。クッピーさんが岩場を離れて我々と合流した時には、すでに暗くなり始めていました。素早い行動が功を奏しました。

ニーナは救出直後はぐったりしていましたが、現地で補水液を自力で飲み、少し元気を取り戻したように見えました。
しかし、体重は1.36kg、通常の1/2.5しかありませんでした。昨日投入したシカ肉を引きちぎって食べたパワーはどこにあったのかと思えるほど痩せていて、筋肉はほとんどありませんでした。
流動食を吸収することもできず、7月30日16:56、ニーナは短い一生を終えました。