イノシシの巣とウリ坊

先日の11日、クマが何度も出現したことはすでに書いたが、その日はイノシシについても新しい発見があった。
僕の背後十数メートルの所でガサガサッとススキをかき分けて何かが逃げる音がした。姿は見えなかったが、大型の獣であることに間違いはない。ニホンジカやカモシカなら警戒声を上げるのだが、声はまったくしない。おそらくクマかイノシシだろう。逃げた方向が見えるところまで行って探すが、もはや何もいない。さっき獣が逃げ出したあたりのブッシュの中に、ススキを刈り取って低く積み上げたようなものがあるのに気付いた。山歩きしている時に、このような植物を敷き詰めたものを何度か見たことがある。イノシシの休息所か寝床なのだろうと思って大して気にも留めなかったが、考えてみると毎日同じ場所で休息する訳でもないのに、こんなに大仰にススキを刈り集めて休憩場所を造るだろうかという疑問が湧いてきた。今回のものはススキが新鮮でかなり新しい。これは休息所ではなく巣ではないかと思い始めた。それも今使用しているものである可能性が高い。
この巣?を何度も横目でちらちらとチェックしながら他の動物を探して撮影を続けていた。16時過ぎに数頭の幼いウリ坊がこの巣?の上をうろついているのを発見。間違いなくこれは巣であった。1〜2分でウリ坊たちは巣の中へと入っていった。
巣はブッシュの中にあるので、ウリ坊たちは草の隙間からちらちらとしか見えず、うまく映像に捉えられなくて残念だった。しかし、イノシシの巣かどうかがはっきりしたのは良かった。
帰り際に巣の近くを通ると、ウー、ウーという威嚇のような声が聞こえた。もし親が戻って来ているとしたら非常に危険だ。いざとなったら飛び出して襲いかかってくるかもしれない。僕は足早にその場を立ち去った。



ススキ原の中にある巣とウリ坊

Vol.37 イノシシ

闇の中から大きなイノシシが現れた

ほ乳類の多くは夜行性と思われがちであるが、昼間にもけっこう活動しているものが多い。

イノシシもそのひとつである。山の中で観察していると、沢を挟んだ山の斜面にある林の中から草地へと出てきて、土を鼻先で掘り返してミミズや昆虫類・植物の根などを食べている姿を見つけることがある。イノシシと僕との距離は300メートルほどあるので、イノシシは僕に気づかずゆったりと行動している。食事をしながら少しずつ移動を繰り返し、林の中へと消えていく。

ある日のこと、落葉広葉樹の林の中で僕が休憩していると、数メートル先に6頭の親子連れのイノシシが現れた。こんな時、僕は即座にその体勢のまま動かずに立木になったつもりで観察をする。微動だにせずにじっとしていると、人間がここにいることをイノシシたちははっきりと確認できないのである。

数メートル先のイノシシ親子は、一列に並んで数歩行進しては号令をかけられたようにピタリと一斉に立ち止まる。しばらくまわりの様子をうかがった後、また数歩進んで立ち止まる。

明らかに僕の気配を感じていることは確かである。それは臭いなのかもしれないが、人間が近くにいると言う決定的な証拠とはなり得ていないのだ。では音はどうであろうか。イノシシが歩いている時に素早く一回だけ手を叩いてみた。イノシシ親子はその瞬間に立ち止まった。僕は動かない。十数秒後、イノシシ親子は歩き始めた。僕はもう一度手を叩く。イノシシは立ち止まり、しばらくして歩き出した。

僕は中腰のまま動かずにいたが、一気にガバッと大げさに立ち上がってみた。イノシシ親子はクモの子を散らすように逃げていった。

イノシシの他にも、僕の目の前を悠々と通り過ぎて行った野生動物はたくさんいる。キツネもそのひとつだ。手を伸ばせば届きそうなところを歩調も変えずに歩いていった。キツネの名誉のために言っておくと、キツネは僕にまったく気づかなかった訳ではない。僕から30メートルほど手前に来た時、キツネは僕の気配を感じて立ち止まり、臭いを嗅いでいた。まわりには動くものがなく、人間は近くにいないと判断して再び歩き出した。キツネは安心して僕の目の前を通過していったのだ。

しばらくしてそのキツネが戻ってきた。40メートルほど手前で今度はそっとカメラのシャッターを押した。カシャッと言う小さな金属音がした途端に、キツネはバネがはじけるように方向を変えて逃げていった。タヌキやアナグマも目の前を通過していった。

しかし、僕が動かずにいても通用しない動物もいる。ツキノワグマは僕から10メートルほどのところまで来て、突然鼻を高く上げて臭いを嗅ぐと向きを変えて去っていった。ツキノワグマが逃げていくのはいつも鼻を上げて臭いを嗅いだ時であった。

夜に出会ったイノシシは、ライトを照らして撮影している僕をまったく気にすることなく、目の前で地面を掘り返して食事を続けた。夜は人間の活動する時間帯ではないと高を括って、人間に対する警戒心が散漫になっているのだろうか。昼間の神経質さからは想像もできない大胆さである。