Vol.2 「最高の瞬間」を求めて

最低の一日。枯れ木とにらめっこして日が暮れる。

見晴らしが利く山の尾根に立ち、イヌワシが現れるのを待ち続ける。美しい山々に囲まれて撮影するのは気持ちがいい。

イヌワシは、雄大な山並みをバックに悠々と現れる。3km以上も遠くの稜線を飛行する点のように小さなシルエットにも、僕の心を引きつけるのに十分な存在感を備えている。

警戒心が強い彼らを撮影するために、時にはブラインド(身を隠すための簡易テント)に潜んでの撮影となる。普段の気持ちがいい撮影とは違い、少々陰気である。狭くて薄暗いブラインドで息を潜めて、ただひたすらイヌワシがやって来るのを待つのだ。

ブラインドには大きな窓はない。イヌワシに気づかれないようにレンズの先だけが出ている。わずかなすき間から見える外の世界は、イヌワシが止まるはずの、岩や樹だけなのだ。

視界が狭くて居心地の悪いブラインドで待ち続けるためには、事前にイヌワシを十分に観察し、シナリオどおりの撮影ができるという確信を自分自身が持たなければならない。

ブラインド撮影には2つの両極端な結果が待っている。1つは、イヌワシが来て思い通りの撮影ができる「最高の瞬間」、もう1つは待てど暮せどイヌワシは来ない「最低の1日」だ。
最低のつらい日が続けば続くほど、「最高の瞬間」の喜びは大きい。「最高の瞬間」が訪れるまで何日も待ち続ける。

観察では、毎日のようにイヌワシが訪れる場所も、絵になる狙いのポイントで待つとなると、都合のいい位置にはめったに来てくれないものだ。

ブラインドでは視界が利かない分、音に敏感になる。リスが落ち葉を踏んで走り回ったり、カケスがバサバサと樹々の間を飛び回ったりと、ハッとさせられることが多い。野生動物たちは、僕がいることにはまったく気づかずに活動している。簡単に気づかれてしまうようなら、何倍も目がいいイヌワシには、すぐに見破られてしまうだろう。

100mも離れたブラインドで、レンズの先を少し動かしただけで、イヌワシに気づかれてしまったことがある。枯木に止まるイヌワシを撮影していた時、イヌワシをファインダーに捉えようと、ほんの少しレンズを動かしたのをイヌワシは見逃さなかったのだ。驚くべき視力に改めて感心してしまった。しかし、1度気づかれてしまうと、今後の撮影は非常に難しくなる。次回もう1度イヌワシがやって来たとしても、ブラインドへの不信感は強く、人間の気配を感じただけで、即座に飛び去ってしまうのだ。

イヌワシに対しては、大きな動きや急激で素早い動きは厳禁である。動くものに対しては敏感に反応する。イヌワシが現れてカメラを構えるときは、気持ちは焦るが、イヌワシの動きを見ながらゆっくりと行動するのだ。ゆっくりと行動したことによって撮影が間に合わなかったとしても、イヌワシを驚かさなければ次のチャンスがある。

慌てて行動して、イヌワシに警戒心を与えてしまっては、次のチャンスを無くしてしまうのだ。

いずれにしても突然の出会いをものにするのは難しい。出現時間が読める相手ではないし、待ち合わせの約束ができるわけでもないのだから、出会いのすべてをものにするなんてことは到底無理な話である。一瞬でも早くイヌワシを発見し、1回でも多くイヌワシと会うことで、シャッターチャンスを増やすしかないのだ。
最高の瞬間か、最低の1日か。最高のシナリオを胸に秘め、ブラインドへ向かう。

Vol.1 若ワシの夏

コントラストが美しい若ワシの飛翔

今年も猛暑の夏が訪れた。野生動物たちは、この暑さをどのように、しのいでいるのだろうか。

この猛暑の中、鳥たちはさえずり、子育てを終えようとしている。巣立ったばかりの幼鳥が翼を震わせ、親鳥に餌をねだる姿をあちこちで見かける。オシドリの母鳥が、7〜8羽の子供を連れて畑の脇を川に向かって歩いている。トビの幼鳥が、鳴きながら親鳥の後を追っている。僕がもっとも心惹かれる鳥「イヌワシ」も、切り立った崖にある巣で無事にヒナを巣立たせた。

5月の下旬に巣立ったイヌワシのヒナは、翼と尾羽の白斑を輝かせて元気に飛び回っている。黒っぽい羽色と白斑のコントラストが非常に美しい。親ワシの姿を見つけるとキィョッ、キィョッと盛んに鳴きながら、後を追おうとしている。

巣立ちと言ってもなんとか飛べるようになったというだけで、自分で獲物を捕えることはできない。当分は、親ワシが運んでくる獲物を頼りに生きている。ノウサギやヤマドリなどの生きた獲物を狩るには、これから何ヶ月も訓練を積まなければならない。若ワシは、飛ぶことも狩りをすることも、まだまだ経験不足である。巣から飛び出したものの、遠くまで飛行する勇気はなく、獲物となる動物がどこにいるかさえも知らない。巣立ちまもない若ワシは、1日に2〜3回くらい近辺を短時間飛行するだけで、大半は林の中に止まって過ごす。

3ヶ月近くたった現在では、空高く帆翔し、遠くまで出かけるようになった。親ワシのように自由自在に風を操って飛翔するまでには達していないが、高空から急降下して樹に止まる姿も様になってきた。ゆったりと帆翔し、高空を滑翔して谷を越え、遠くの尾根まで出かけて行く。双眼鏡で追う僕の視界から点のようになって山の斜面に溶けて消えそうになる。かろうじて白斑の輝きだけが目に映る。3kmくらい行ったところで急に不安になったのか、Uターンして本拠地へと戻って来る。僕が自転車に乗れるようになって、今まで一人で行ったことがなかった土地へ出かけて行った時と似ている。来た道と同じところを間違えずに帰れるだろうかと不安になったものだ。

若ワシは日々、少しづつではあるが行動範囲を広げている。彼が獲物を見つけて狩りに成功する日はいつのことだろうか。

冬には、親ワシのテリトリーから追われ、本当の意味で巣立ち(独り立ち)しなければならない。自分の食べ物は自分で確保しなければ生きられない。彼らには、獲物となる多くの野生動物を育む豊かな自然環境が必要である。しかし、野生動物が生活できる環境は、どんどん減少している。

独り立ちしたイヌワシの幼鳥が成鳥になるまでに、75%が死んでしまうというアメリカの調査結果がある。厳しいが、自然界の「おきて」なのだ。果たして、この幼鳥は生き抜くことができるだろうか。無事を祈らずにはいられない。