Vol.9 イヌワシ: 獲物

ニホンカモシカの死体を食べる

イヌワシが狩りの対象とする動物は多種類におよぶ。小さなものではネズミから大きなものはキツネやニホンカモシカの幼獣までも獲物として捕食する。

哺乳類ではノウサギ、鳥類ではヤマドリ、爬虫類ではアオダイショウが圧倒的に多い。その他には、テンやニホンイタチ・アナグマ・ニホンリス・タヌキ・キジ・キジバト・ハシボソガラス・ツグミ・カケス・シマヘビ・マムシなど20種類以上の動物が獲物となる。

爬虫類は冬眠するために冬期の獲物にはならないが、夏期の重要な獲物となっている。4月の下旬になると冬眠から覚めたヘビが姿を見せ始める。ヘビの出現と同時に、ノウサギやヤマドリが主体であった獲物が、一転してヘビに代わる。

葉が展葉して獲物が見つけにくくなるちょうどその時期に、個体数が多く捕まえやすいヘビが出現すると、5月以降の獲物は、ほとんどがヘビになる。しかし、ヘビが餌量に占める割合が高いペアほど、繁殖率が低くなる傾向があるように僕は感じている。繁殖状況の良いペアでは、夏期もノウサギやヤマドリを捕っている。

ノウサギやヤマドリが減少した影響で、これらに代わる獲物としてヘビの捕食率が高まっているのではないだろうか。

5月はニホンカモシカの出産の時期でもある。生まれて間もないカモシカの幼獣がイヌワシの獲物となることがある。母親のカモシカが子供のそばについていればイヌワシも襲うことはできないだろう。イヌワシはほんのわずかな隙を狙ってカモシカの子供を襲っているのではないだろうか。イヌワシが自分と同じかそれ以上もある大きさのカモシカの子供を足につかんで飛翔する姿を見たときには、そのずば抜けた飛翔力に驚くとともに感動した。上空から高度を下げながら滑翔し、ヒナの待つ巣へと運んでいった。

また、冬の積雪や凍結により、崖から足を滑らせて転落したカモシカの死体もイヌワシの餌となっている。大きな獲物はペアで何日もかけて食べる。しかし、この獲物を狙っているのはイヌワシだけではない。夜になるとキツネやテンなどがやって来て屍肉をあさる。イヌワシに残された量はそれほど多くはないのだ。

こうしたカモシカの死体を調べると、転落死したものばかりではなく、密猟されてその場で解体された残がいであることも少なくない。北海道でオオワシ・オジロワシが、銃弾で撃たれたエゾシカの死体を食べて鉛中毒を起こすことが問題になっているが、イヌワシでもその危険性が十分に考えられる。

イヌワシの繁殖成功率は年々低下している。獲物となる野生動物の生息数が少ないのだ。それをカバーするためにいろんな種類の動物を獲物とし、その時々で利用しやすい獲物をうまく利用しながらイヌワシは生きている。

Vol.8 イヌワシ: ヒナの兄弟闘争

生後約15日のヒナ。まだ母ワシの保温が必要だ。

三寒四温をくり返し、里はすっかり春めいてきた。イヌワシは約45日間の長い抱卵期間ののちにヒナが誕生した。

白いフワフワの綿毛に包まれたヒナは、猛禽の子供とは思えないくらいに弱々しい。母ワシから餌をもらうために頭を持ち上げ首を伸ばすが、まだフラフラとして安定しない。食事の時以外は母ワシの懐に潜り込んで暖まっている。イヌワシが棲む山岳地帯では、春とは言うもののまわりは残雪に覆われ、時には吹雪の日もあるのだ。小さなヒナには当分の間母ワシの保温が必要だ。

イヌワシは通常2個の卵を産み、2羽のヒナが誕生する。しかし、日本では2羽のヒナが共に育つことはほとんどあり得ない。生まれて間もないヒナ同士が、首も座らぬうちから争いを始めるのだ。3日ほど早く生まれて大きくなったヒナが、後から生まれた小さいヒナを嘴でつついて攻撃する。小さいヒナが頭を持ち上げると大きいヒナの攻撃が開始される。日毎に闘争は激しくなって、小さいヒナは頭を上げることさえできなくなる。母ワシは頭を上げてせがむヒナにしか餌を与えない。小さいヒナは飢えのために生まれて数日で死んでしまう。
僕たち人間には非常に残酷に映るが、厳しい環境の中で生き抜く自然の摂理なのだろう。ヒナ同士の闘争もなく2羽が生き延びたとしても、やがて2羽のヒナが成長し食欲おう盛になった時には餌が不足してしまうのだ。大きく強くなったヒナ同士の争いには危険が伴う。お互いが傷つき共倒れの危険さえある。

生き残った1羽のヒナは、獲物を独り占めして成長していくが、食欲がおう盛になるにつれて餌が不足する。巣の上に獲物がまったく無くなってしまうという事態が時々起こっている。ヒナが生後1ヶ月くらい経つと、ヒナを巣に残して母ワシも狩りに出かけるようになる。親ワシ2羽で懸命に獲物を探すが、そうたやすく獲物にありつくことはできない。

数日以上獲物が捕れないことも少なからずあるのだ。ヒナは空腹に耐えながら親の帰りを待っている。母ワシが時々様子を見に巣へ帰ってくるが獲物はない。飢えているのはヒナだけではない。母ワシもヒナ以上に飢えているのかもしれない。巣の上に獲物の残がいがないかどうか探している。母ワシが巣材のすき間から何かを引っ張り出したが、干からびた骨だった。ヒナに与えるものは何もない。母ワシは空腹に堪え兼ねてその干からびた骨を飲み込んだ。

こうした餌不足の危機はヒナが巣立つまでの間に何度か訪れる。2羽のヒナを育てることなどとてもできるものではない。十分な獲物を確保できる海外のイヌワシでは、2羽のヒナが共に巣立つ地域も多い。

日本のイヌワシは非常に厳しい生息状況に置かれている。繁殖成功率は年々低下し、1羽のヒナも育てられないペアも数多くいる。イヌワシの繁殖状況は、その地域の自然環境の豊かさを反映している。イヌワシの危機的な状況は、人間にとっても大切な自然環境の危機でもあるのだ。

Vol.7 イヌワシ: 厳冬期の産卵

嘴と脚に巣材を持って巣へ向かう

木枯らしが吹き、雪が降り積もるころ、イヌワシの巣造りは始まる。

雨や雪が当たらないように断崖絶壁のオーバーハングの下に、直径1.5mもある大きな巣を造る。昔話に伝わるイヌワシの巣が、現在も使用されている場所がある。イヌワシは、環境が大きく変わらなければ何十年何百年と同じ巣を使い続けるのだ。

古い巣材の上に毎年新しい巣材を積み重ねていくために、巣の厚みは1mを越える。大人2人が座ってもびくともしない。巣材は、木の枝を嘴や脚で折り取って集めてくる。直径が3〜4cmもある太い枝でさえ折ってしまうのだから大した力である。

嘴で枝をくわえて満身の力を込めて引きちぎる。太い枝は両足でつかみ、ひねるように飛び降りて折ってしまうのだ。そのまま飛び立ち、脚につかんで巣へ運ぶ。1.5m以上もある長い枝を運ぶ姿は、まるでほうきに乗った魔女のようである。

雄と雌は協力して巣材を運び、巣を整える。枝で形を整えた後、産座の部分にはマツやスギの青葉を敷き詰める。42〜45日間も卵を温め、2ヶ月半の間ヒナを育てる場所であるから、居心地が良いだけでなく殺菌作用があると言われている青葉は、産座の材料にうってつけだ。

巣材運びが頻繁に見られるようになってから1ヶ月足らずで巣は完成する。この間、オーバーハングの下とは言え、巣の上に雪が積もることもある。そんなとき、イヌワシは雪の上に胸を押し付けて除雪車のように巣から雪を押し出したり、積もった雪の上に巣材を運んだりと困惑しながらも巣造りを続けている。

産卵は1月下旬〜2月中旬である。1年のうちで最も寒い時期に産卵するのはなぜだろうか。1つの要因だけではないだろうが、獲物となる野生動物の繁殖時期が大いに関係していることは確かだろう。

ヒナの食欲が最もおう盛になるのは巣立ちの半月から1ヶ月前くらいである。2月の初めに産卵したとすると、5月の初・中旬がいちばん獲物を必要とする期間である。ちょうど多くの野生動物が子育てをしている時期である。警戒心が弱い上に逃げ足の遅い子供たちが多く、野生動物の生息密度が高くなっているときに、イヌワシのヒナの食欲おう盛な時期がぴったりと合っているのだ。

産卵した後、卵を温めるのは主に雌の役割だ。雄は1日に2回くらい雌に代わって抱卵する。雄の抱卵時間は2回合わせても1時間ほどである。この間、雌は近くの木の上で伸びや羽繕いをしてくつろいでいる。雄が持ち帰った獲物があればそれを食べる。

抱卵期間中、雌は狩りに出かけられないので雄が持ち帰る獲物だけが頼りだ。雄は、自分と雌の2羽分の獲物を確保しなければならない。雌が落ち着いて抱卵を続けられるかどうかは、雄が十分な量の獲物を確保できるかどうかにかかっている。

雄の狩りの能力と野生動物の豊富さが繁殖成功の鍵を握っているのだ。

Vol.6 イヌワシ: 天狗伝説

眼光鋭いイヌワシはまさに天狗鷲だ

日本各地には、数多くの天狗伝説が残されている。

天狗は想像上の怪物とされているが、実在するモデルがあるのではないだろうか。鼻は高く突きだし、目は千里眼、1日千里を駆け抜ける、翼を持ち飛行自在で風を起こす大きな羽うちわを持っているとされている。

イヌワシの特徴は、顔の中央部に突出した大きな嘴、1〜2kmも先のノウサギやヤマドリを探しだす非常に発達した視力、10km四方もの広い行動圏を持ち、時速200kmにも達する急降下などのすぐれた飛翔力、翼開長2mの大きな翼と扇型の大きな尾羽など天狗の特徴とぴったりと一致する。

イヌワシは漢字で「狗鷲」と書く。天狗のモデルはイヌワシだったのではないだろうか。

天狗山・天狗岩・天狗平など天狗と名のつく地名は日本全国あちらこちらに見受けられる。人と天狗のつながりは何百年も前から続いている。それがこの20?30年の間に大きく変わろうとしている。

科学技術の発達とともに人間の活動範囲が急激に広くなった。イヌワシの棲む地域でも機械化による大規模で急激な環境の変化が起こっている。天狗と名のつく場所にかつてはイヌワシが棲んでいたと考えられるが、今もイヌワシが棲んでいる場所は数少なくなってしまっている。イヌワシの減少とともに、天狗伝説も語られることが少なくなったのではないだろうか。

イヌワシが信仰の対象となっていたと考えられるふしもある。イヌワシの巣がある岩の上にほこらを立て、神様を祭ってあるところや、イヌワシの巣のある岩の下に、巣のあるところと同じ形に岩を削って石仏を安置してあるところなどがある。この石仏は普段見かける丸顔のふくよかな石仏とは違い、鼻が高く鼻筋が通った彫りの深い顔をしている。まるでイヌワシを擬人化したものであるかのようだ。

今でもお参りに訪れる人があるらしく、小さな踏み分け道がしっかりと付いている。昔は、その岩場が天狗のねぐらとして大切に祭られていたものと僕は想像している。今ではそこに天狗の巣があったことを知る人は誰もいないだろう。野生動物と人間との接点が、現在の日常生活ではほとんど無くなってしまっているのだ。

かつて山里に住む人々は、イヌワシを天狗様と恐れ、あがめて大切に守ってきたのだろう。  自然からの豊かな恵みを大いに利用して生活していた人々は、イヌワシの棲む豊かな自然環境は自分たちが生きていくうえにも必要であることを知っていたに違いない。

しかし、生活様式の近代化とともにイヌワシは身近な存在ではなくなってしまった。イヌワシと人間のかかわりが途切れたかに見えた。ところが、イヌワシがなおざりになったところへ環境問題が浮上した。食物連鎖の上部に位置するイヌワシは、自然環境の豊かさのバロメーターとして再び注目を集めるようになった。

昔はイヌワシも人間も共に生きて来たが、現在はイヌワシか人間かというふうな二者択一を強いられることが多くなっている。未来もやはり、イヌワシも人間もであり続けたいものだ。

Vol.5 営巣地探しの極意?

遠くの稜線に音もなく現れる

誰も知らないイヌワシの新しい営巣地を探すのは楽しい。地形図を広げ、地形から環境を想像する。ここならばイヌワシが生息しているだろうと目星を付けると、もう居ても立ってもいられない。稜線を飛行するイヌワシの姿が目に浮かぶ。

現地に出かけて想像通りの環境に遭遇した時には心が踊る。今にも山の端からイヌワシが姿を現しそうで、稜線から目を離す時間も惜しくなる。

しかし、想像とはまったく違う環境にがく然となることも少なくない。スギ・ヒノキの植林に覆われた山にはイヌワシは生息できない。大きく育ったスギ・ヒノキだけの単純 な植林地は、イヌワシの獲物となる野生動物が少ない上に、びっしりと植えられた木によって林床がまったく見えず、イヌワシが狩り場として利用できない場所なのだ。

数km以上も離れた稜線を肉眼と双眼鏡で探し続ける。飛行する大型の鳥を見つけると、まずイヌワシなのか別の猛禽類なのかを慎重に判断する。点のような小さなシルエットから正確に識別するには、長年の経験が必要だ。

生息確認の次のステップは、営巣地探しである。しかし、誰にでも分かるような営巣地探しの方程式があるわけではない。1ペアのイヌワシの行動範囲は、100km2もの広さにもなるから、イヌワシを発見した地点と営巣地とがまったくかけ離れた場所であることも少なくない。その上、営巣適地はイヌワシの広い行動範囲の中にはいくつも存在する。様々な地域でいくつもの営巣地を発見してきた経験をもとに、営巣に適した地域を選び、遠くからイヌワシの動きを観察する。

巣材や獲物を運ぶ姿を観察できれば申し分ないが、単にイヌワシが飛び回っただけならば、近くに営巣地があるかどうか、大いに惑わされるところだ。営巣地の近くなのか、それとも獲物を探して飛び回っているのか、確実に見分けることはとても難しい。

営巣地を直接見ることができれば話は早いが、イヌワシの営巣地は急峻な渓谷の崖に営巣しているのでアプローチも簡単ではない。イヌワシを確認したその場所で巣材や獲物を運び込むのを期待して観察を続けるか、それともそこには営巣地はないと判断して別の候補地で観察を開始するのか、選択しなければならない。判断を誤ると、営巣地のないところで何日も観察を続けることになってしまう。

野を越え山を越え、ある時は雪上に残された野生動物たちの足跡をたどりながら、またある時は春の木漏れ日を浴び小鳥たちのさえずりを聞きながら雑木林を歩く。イヌワシの観察を楽しみながら営巣地を探索する。

机上では説明できないその場の雰囲気は、野外に身を置くことで感じ取れるものだ。失敗を繰り返しながらも「勘」は鍛えられていく。少しづつ、経験を積むほどに正確な「勘」に近づいていく。

営巣地探しの極意は、長年積み重ねてきた「直感」なのだ。言葉で表すことは不可能だ。

営巣地がほぼ確実に特定されてくれば、急峻な渓谷もなんのその、イヌワシの営巣の邪魔にならないように遠巻きにではあるが、巣が見える場所まで一気に駆け登る。元気に育つヒナの姿があれば気分は最高だ。

Vol.4 狩り

狩りの瞬間。獲物を見据えたまま一瞬たりとも目を離さない。

自然の中で生きた獲物を捕食して生きることは非常に厳しい。

イヌワシは、ノウサギやテン、ヤマドリといった中型の野生動物を狩る。鋭く長い爪や嘴、広大なエリアを飛び回るための大きな翼、人間の8倍以上ある視力など、狩りのためには欠かせない特徴を備えている。

視力の良さは人間の想像を超えている。1km以上も離れた山の斜面にいるノウサギやヤマドリを見つけ出してしまうのだから尋常ではない。イヌワシが狙いを定めて急降下していく方向を、先回りして10倍の双眼鏡で探してみても、イヌワシが襲いかかるより先に獲物を見つけることはできない。

イヌワシにはどんなふうに獲物が見えているのだろうか。僕たちが双眼鏡を使った時のように狭い視野ではなく、広い視野で鮮明に見えていることは間違いないだろう。テレビのハイビジョンと普通の放送との違いのようなものなのではないだろうか。いずれにしてもイヌワシの視力は想像を絶するものであることだけは確かなのだ。

樹木や植物が茂った広大な山岳地帯では、獲物を探しだすだけでも大変なことである。鳥類では、ヤマドリやキジ、カラス、トビなどいろんな鳥が狩りの対象となる。獲物が鳥類の場合、イヌワシは翼をほとんど閉じて猛スピードで急降下し、鋭い爪で引っかけるようにかすめ取ってしまう。豪快なハンティングだ。

トビを捕えたときのあざやかさは、今も脳裏に焼き付いている。1羽のイヌワシが尾根の上で悠々と旋回し、高度を上げて空高く舞い上がった。高度を稼いだイヌワシは、翼をすぼめ、一直線に滑空を始めた。何か獲物を見つけたらしく、ぐんぐんとスピードを上げていく。突然、反転して真っ逆さまに急降下。弾丸のようなイヌワシが、体当たりするように両足でトビをつかんだ。イヌワシはトビをしっかりつかんだまま滑空し、食事場所へと運び去った。トビは、衝撃で体がバラバラになってしまったのか、捕えられた瞬間からピクリとも動くことはなかった。

空中でのハンティングの成功例はめったに観察できない。鳥類の捕獲成功率は極めて低い。

地上を歩くほ乳類の場合には、鳥類と違って狩りの成功率はかなり高くなる。ほ乳類が獲物となるときは、急降下で接近し、獲物の手前からスピードを落として相手の動きをじっくりと見ながら降下していく。獲物の動きに合わせていつでも前後左右に方向を変えることができるように、翼で調節しながら襲いかかる。

このように獲物によって狩りの仕方が変わるため、イヌワシの行動を見るだけで獲物が鳥なのかほ乳類なのか、およそ見当をつけることができるのだ。

鳥の王者にたとえられるイヌワシだが、思うままに獲物を手に入れられるわけではない。狩りに成功するのは3日に1回くらいのものである。1週間以上も獲物にありつけないこともあるのだ。だから獲物が捕獲できたときには食べられるだけ食べて食いだめする。次に獲物が捕れるまで、空腹に耐えながら生き抜いているのだ。肉食動物の宿命である。

Vol.3 風を操る飛行家

上空から翼をすぼめて急降下を開始する

イヌワシが飛翔する姿は美しい。翼を広げると2mもある巨大な鳥が軽々と宙を舞う。

羽ばたくことなく上昇し、滑るように滑空する。翼をすぼめて先端を体にぴたりと付けて、ひし形になる急降下は時速200kmにも達する。ジェット機のような轟音を聞いて頭上を見上げると、イヌワシが急降下していったことがあった。

彼らの飛行を助けるのは、風である。風をつかめば羽ばたく必要はほとんどない。遠くへ出かけるときには、旋回しながら上昇気流に乗り、空高く上昇した後、目的地まで一直線に滑空する。イヌワシの行動範囲は10km四方もの広さがある。羽ばたかずにエネルギー消費の少ない飛び方で、獲物を探して広大なエリアを飛行するのだ。

また、急降下と急上昇を波のように繰り返す波状飛行は、航空ショーを見ているようだ。翼をほとんど閉じて、100m以上も急降下した後、翼を広げ、急降下のスピードを利用して一気に上昇する。上昇の勢いがなくなった頂点で翼を閉じ、再び急降下へと続くのだ。波状飛行は、ペアのテリトリーへ侵入して来るイヌワシに対しての警告飛行であることが多い。侵入者の接近具合で、波の深さや角度が変化する。

停空飛翔は向かい風を利用する飛行方法だ。翼と尾羽を微妙に動かしながら、空中の一点に凧のようにピタリと停止する。そのまま動かずに、山の斜面に現れる獲物を探す。時には、停空飛翔のまま、エレベーターのようにまっすぐに上昇したり、地上スレスレまで降下したりと、空中遊泳を楽しんでいるような飛行を披露してくれるのだ。

どんよりと曇った風のない日は、羽ばたきを交えながら旋回を繰り返すが、なかなか高度を稼げない。イヌワシの動きも、おのずとゆっくりとしたものになる。

風を操る天性の飛行家にも弱点がある。普段は風をはらんで悠々と旋回上昇するイヌワシも、強い下降気流には勝てない。

イヌワシが上昇気流を求めて小さな沢に沿って羽ばたきながら飛行していた。付近は強い下降気流となっていて、尾根を越えてきた霧が、谷底へ向かって猛スペードで流れて消えていく。イヌワシは沢の詰めの斜面まで来て、懸命に羽ばたきながら旋回を始めた。羽ばたきの様子からするとかなり慌てているようだが、上昇するどころか徐々に高度が下がっている。果たしてこの下降気流に打ち勝って上昇することができるだろうか。イヌワシは、一生懸命に羽ばたきながら旋回上昇を試みたが、ついにあきらめ、鞍部を越えて少しでも気流のいい場所を求めて移動して行った。

どんな強風も味方に付けて華麗な飛行を見せてくれるイヌワシが、こんなに悪戦苦闘する姿を見たのは、後にも先にもこのときだけである。

ダイナミックで華麗な飛翔は多くの人々を魅了する。僕もこの魅力に取りつかれてしまっている。

Vol.2 「最高の瞬間」を求めて

最低の一日。枯れ木とにらめっこして日が暮れる。

見晴らしが利く山の尾根に立ち、イヌワシが現れるのを待ち続ける。美しい山々に囲まれて撮影するのは気持ちがいい。

イヌワシは、雄大な山並みをバックに悠々と現れる。3km以上も遠くの稜線を飛行する点のように小さなシルエットにも、僕の心を引きつけるのに十分な存在感を備えている。

警戒心が強い彼らを撮影するために、時にはブラインド(身を隠すための簡易テント)に潜んでの撮影となる。普段の気持ちがいい撮影とは違い、少々陰気である。狭くて薄暗いブラインドで息を潜めて、ただひたすらイヌワシがやって来るのを待つのだ。

ブラインドには大きな窓はない。イヌワシに気づかれないようにレンズの先だけが出ている。わずかなすき間から見える外の世界は、イヌワシが止まるはずの、岩や樹だけなのだ。

視界が狭くて居心地の悪いブラインドで待ち続けるためには、事前にイヌワシを十分に観察し、シナリオどおりの撮影ができるという確信を自分自身が持たなければならない。

ブラインド撮影には2つの両極端な結果が待っている。1つは、イヌワシが来て思い通りの撮影ができる「最高の瞬間」、もう1つは待てど暮せどイヌワシは来ない「最低の1日」だ。
最低のつらい日が続けば続くほど、「最高の瞬間」の喜びは大きい。「最高の瞬間」が訪れるまで何日も待ち続ける。

観察では、毎日のようにイヌワシが訪れる場所も、絵になる狙いのポイントで待つとなると、都合のいい位置にはめったに来てくれないものだ。

ブラインドでは視界が利かない分、音に敏感になる。リスが落ち葉を踏んで走り回ったり、カケスがバサバサと樹々の間を飛び回ったりと、ハッとさせられることが多い。野生動物たちは、僕がいることにはまったく気づかずに活動している。簡単に気づかれてしまうようなら、何倍も目がいいイヌワシには、すぐに見破られてしまうだろう。

100mも離れたブラインドで、レンズの先を少し動かしただけで、イヌワシに気づかれてしまったことがある。枯木に止まるイヌワシを撮影していた時、イヌワシをファインダーに捉えようと、ほんの少しレンズを動かしたのをイヌワシは見逃さなかったのだ。驚くべき視力に改めて感心してしまった。しかし、1度気づかれてしまうと、今後の撮影は非常に難しくなる。次回もう1度イヌワシがやって来たとしても、ブラインドへの不信感は強く、人間の気配を感じただけで、即座に飛び去ってしまうのだ。

イヌワシに対しては、大きな動きや急激で素早い動きは厳禁である。動くものに対しては敏感に反応する。イヌワシが現れてカメラを構えるときは、気持ちは焦るが、イヌワシの動きを見ながらゆっくりと行動するのだ。ゆっくりと行動したことによって撮影が間に合わなかったとしても、イヌワシを驚かさなければ次のチャンスがある。

慌てて行動して、イヌワシに警戒心を与えてしまっては、次のチャンスを無くしてしまうのだ。

いずれにしても突然の出会いをものにするのは難しい。出現時間が読める相手ではないし、待ち合わせの約束ができるわけでもないのだから、出会いのすべてをものにするなんてことは到底無理な話である。一瞬でも早くイヌワシを発見し、1回でも多くイヌワシと会うことで、シャッターチャンスを増やすしかないのだ。
最高の瞬間か、最低の1日か。最高のシナリオを胸に秘め、ブラインドへ向かう。

Vol.1 若ワシの夏

コントラストが美しい若ワシの飛翔

今年も猛暑の夏が訪れた。野生動物たちは、この暑さをどのように、しのいでいるのだろうか。

この猛暑の中、鳥たちはさえずり、子育てを終えようとしている。巣立ったばかりの幼鳥が翼を震わせ、親鳥に餌をねだる姿をあちこちで見かける。オシドリの母鳥が、7〜8羽の子供を連れて畑の脇を川に向かって歩いている。トビの幼鳥が、鳴きながら親鳥の後を追っている。僕がもっとも心惹かれる鳥「イヌワシ」も、切り立った崖にある巣で無事にヒナを巣立たせた。

5月の下旬に巣立ったイヌワシのヒナは、翼と尾羽の白斑を輝かせて元気に飛び回っている。黒っぽい羽色と白斑のコントラストが非常に美しい。親ワシの姿を見つけるとキィョッ、キィョッと盛んに鳴きながら、後を追おうとしている。

巣立ちと言ってもなんとか飛べるようになったというだけで、自分で獲物を捕えることはできない。当分は、親ワシが運んでくる獲物を頼りに生きている。ノウサギやヤマドリなどの生きた獲物を狩るには、これから何ヶ月も訓練を積まなければならない。若ワシは、飛ぶことも狩りをすることも、まだまだ経験不足である。巣から飛び出したものの、遠くまで飛行する勇気はなく、獲物となる動物がどこにいるかさえも知らない。巣立ちまもない若ワシは、1日に2〜3回くらい近辺を短時間飛行するだけで、大半は林の中に止まって過ごす。

3ヶ月近くたった現在では、空高く帆翔し、遠くまで出かけるようになった。親ワシのように自由自在に風を操って飛翔するまでには達していないが、高空から急降下して樹に止まる姿も様になってきた。ゆったりと帆翔し、高空を滑翔して谷を越え、遠くの尾根まで出かけて行く。双眼鏡で追う僕の視界から点のようになって山の斜面に溶けて消えそうになる。かろうじて白斑の輝きだけが目に映る。3kmくらい行ったところで急に不安になったのか、Uターンして本拠地へと戻って来る。僕が自転車に乗れるようになって、今まで一人で行ったことがなかった土地へ出かけて行った時と似ている。来た道と同じところを間違えずに帰れるだろうかと不安になったものだ。

若ワシは日々、少しづつではあるが行動範囲を広げている。彼が獲物を見つけて狩りに成功する日はいつのことだろうか。

冬には、親ワシのテリトリーから追われ、本当の意味で巣立ち(独り立ち)しなければならない。自分の食べ物は自分で確保しなければ生きられない。彼らには、獲物となる多くの野生動物を育む豊かな自然環境が必要である。しかし、野生動物が生活できる環境は、どんどん減少している。

独り立ちしたイヌワシの幼鳥が成鳥になるまでに、75%が死んでしまうというアメリカの調査結果がある。厳しいが、自然界の「おきて」なのだ。果たして、この幼鳥は生き抜くことができるだろうか。無事を祈らずにはいられない。