Vol.10 イヌワシ:人口巣の設置(その1)

ヒナを食べた後、巣の上に居座り長い舌を出しているツキノワグマ。

イヌワシの繁殖成功率が低下していることはこれまでに何度か書いたが、1995年のあるペアの繁殖失敗は予想もしないものだった。

4月7日、久しぶりに繁殖に成功した巣では、生後1ヶ月近く経ったヒナが順調に育っていた。ヒナは、フワフワとした白い綿毛から黒い風切羽がわずかに伸び始めている。小さかったヒナはどっしりとしてたくましくなった。

母ワシは、ヒナを保温したり外敵から守るために、巣から遠くへ離れることはなかったが、ヒナが生後1ヶ月近くになったころから、だんだん遠くまで狩りに出かけるようになった。ヒナは綿毛に包まれているとはいえ、もうすでにチャボくらいの大きさになっている。カラスなどの外敵にやられる心配はほとんどないと思われた。

近年では繁殖に成功するペアが少なくなって、ヒナを育てるイヌワシを観察できる機会はめったに無くなってしまった。夕方までヒナを観察して山を下った。

翌朝、昨日と同じところから巣を観察。巣までは約500mの距離がある。望遠鏡で巣をのぞくと、昨日までとどこか様子が違う。巣材が巣の縁に盛り上がっている。ヒナが立ち上がれば見えるはずだが、なかなか姿を現さない。しばらく観察を続けていると、巣の上に何やら黒いものが動くのが見えてきた。母ワシが巣にいるのだろうか?目を凝らして見ていると、黒い物体は徐々に姿を現した。ツキノワグマだ。

昨日までイヌワシのヒナがいた巣の上に、今朝はツキノワグマが座っている。僕は、急いで山を登った。巣がのぞき込めるところまで到着したときには、すでにクマは巣にはいなかった。対岸の斜面をゆっくりと、大きな雄グマが歩いていくのが見えた。巣の中を確認するがヒナはいない。巣のある岩壁の下も探したが、ヒナの姿はなかった。ヒナはツキノワグマに食べられてしまったのだ。

冬眠明けのクマにとっては非常に貴重な栄養価の高い食事であったことは確かだろう。しかし、十数年繁殖に失敗していたペアが、ようやく繁殖に成功したというのに残念だ。よりによってイヌワシのヒナを食べなくても… 。

卵を産まない、あるいは卵を産んでも無精卵でヒナがふ化しないという繁殖失敗は数多く見ているが、ヒナが生後1ヶ月にもなってから死んでしまう例は非常に少ない。ましてやクマが断崖絶壁にある巣に登ってヒナを食べるとは想像もできなかった。

巣のまわりを調べた結果、人間が道具なしにこの巣へ近づくことはできないが、クマならばこの巣へ登れるコースがあることが分かった。巣材はかき落とされ、土台になっている木は折れかかっていた。クマには悪いが、巣へアプローチできる場所を封鎖し、壊された巣を補修することに決めた。イヌワシは、ヒナのいなくなった巣にしばらくは執着して巣材を運んだりするであろうから、秋には巣の補修ができるように準備をしよう。

来年こそは繁殖に成功して欲しい。クマがイヌワシのヒナ1羽を食べなくても命にかかわることはないだろうから、来年からクマには我慢してもらおう。