伊吹山自然観察ガイド

著者 村瀬忠義・須藤一成・草川敬三
発行 2007年 山と渓谷社
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内容 滋賀県最高峰、標高1377mの伊吹山は、山頂一面に広がる高山性植物で知られ、日本百名山のひとつでもある。須藤一成が、「第2章いきものの章」を担当し、伊吹山とその周辺に生息する特徴的な動物について紹介している。

週刊「日本の天然記念物 動物編」イヌワシ

写真 須藤一成(表紙他15点提供)
発行 2003年 小学館
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内容 2002年6月6日から50週連続で発行されたウィークリーブックで、日本の天然記念物を写真とイラストでわかりやすく解説している。全ての号に解説されている動物の立体フィギュアが付属している。

写真集 イヌワシ Golden Eagle

著者 須藤一成
発行 1994年 平凡社
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内容 日本の森林生態系の頂点に立つ大型猛禽類イヌワシ。日本国内の生息数は500羽程度とされ,絶滅の危機に瀕している。イヌワシのダイナミックな狩り,悠々たる飛翔,人の手の届かぬ断崖での子育てなど,その生活史のすべてを日本で初めてとらえた写真集。

野生動物救護ハンドブック

野生動物救護ハンドブック

著者 須藤明子(株式会社イーグレット・オフィス)
「第3章 野生動物救護の実際各論 – ワシタカ類」
編者 野生動物救護ハンドブック編集委員会
発行 1996年 文永堂出版
内容 野生動物救護の各論の猛禽類の項を担当。猛禽類のうち救護例の多いトビとチョウゲンボウについて、生態学的特徴、診断技術と保定、主な救護原因と疾病、食性と給餌方法、飼育管理と野生復帰について概説。

Vol.54 アフリカ撮影記 Ver.15 クドゥ



ねじれた大角を持つ雄のクドゥ。土に溶け込んだ塩分を舐める。たくさんの動物たちがやって来て舐めるので地面が大きく掘れている。

くるくるとねじったような大きな角を持つ雄のクドゥは、アフリカの大地によく映える。

クドゥは体重が200kg前後あり、大きな雄では250kgもある。角を持つのは雄だけで、角の長さが1.8mを超えるものも記録されている。重さはおそらく一本で十数kgはあるだろう。高く跳び薮を駆け抜けて走るには角を自在に操れるだけの筋肉が必要だ。角は重いだけでなく長いので、余計に振り回されてしまいそうだが、急な方向転換や頭を振ったりする時にふらついたりはしていない。そう考えると彼らは強靭な首の持ち主であることがわかる。

力強い体でこの角を振り回して肉食獣を追い払うこともあるが、追い払いの効果はあまり期待できないので、積極的に武器として角を使用するものではないらしい。雌をめぐってのなわばり争いで激しくぶつかり合ったり押し合ったり、あるいはディスプレイに使用したりと、角は同種間の争いで主に使用されるのだ。

激しい闘争によって片方の角が折れてなくなってしまったクドゥを時々見ることがある。角の重さは半分になったものの、バランスが悪くてかえって動きづらいように見えるのだが…。当のクドゥは気にする様子もなく、頭が角のあるほうに傾いているわけでもなくまっすぐに立っている。クドゥの角はニホンジカのように毎年生え変わるものではないから、このクドゥは一本角のまま生きていくのである。このバランスの悪さから、肩凝りや首の凝りに悩まされはしないかといらぬ心配をしたくなる。

彼らは大きな角を付けたままでも障害物を軽々と飛び越え、薮の中では角を水平にして体に添わせて素早く通り抜けていく。

ある時数頭のクドゥがフェンスの脇にいるのに出くわした。車の出現に驚いたクドゥは高さが2mほどのフェンスを次々と飛び越えたが、少し小さな若いクドゥだけが躊躇してオロオロしている。小さなクドゥにはこのフェンスは高すぎるようだ。そのうちに有刺鉄線が少したるんで間隔が広がっている部分に狙いを定めて、この隙間を飛び越えて逃げていった。

それにしても、小さいとはいえ体高が1.2mほどあるクドゥが、広いとは言えないその隙間を通過したとは信じられない。僕は、クドゥが体当たりで有刺鉄線を切って通り抜けたのではないかと思い、そこへ行ってみたのだが、有刺鉄線は切れていない。フェンスはほとんど揺れなかったから、本当に見事にこの間隙をすり抜けていったのだ。前脚と後脚を水平にして、体が最も細くなる姿勢で有刺鉄線の間を抜けていったのである。サーカスの動物ショーの火の輪くぐりも顔負けの素晴らしさだった。

お世辞にも細身とは言えないずんぐりとしたクドゥは、いかにも鈍重そうに見えるので、余計に軽やかでしなやかな身のこなしに驚かされた。首だけでなく、全身の筋肉が強靭でしなやかなのだ。

Vol.53 アフリカ撮影記 Ver.14 野焼き

野焼きの炎は強弱を繰り返しながら燃え広がってゆく

乾期の終わり頃、ジンバブエの国立公園では草原に火を放って野焼きが行われる。

枯れ草を焼き払っていち早く新鮮な植物を復活させるためである。確かに野焼きをしたところでは一週間もすると一面が緑に覆われ始めている。隣接して枯れ草が残っているところと比べると圧倒的に新鮮な緑が多い。草食動物たちにとっては栄養豊富な植物がいち早く芽吹いて格好の採食場所になるだろう。

野焼きが鎮火するとすぐに、どこからともなく猛禽類が集まってくる。上空では熱上昇気流が激しく渦巻いているらしく、びゅんびゅんと慌ただしく曲技飛行をしている。焼け出されて舞い上がった昆虫などを狙っているのだ。昆虫を捕食する猛禽類にとっては大いなるチャンスだ。

僕はこの野焼きに取り囲まれそうになった経験が2回ある。1度目は岩山に登って撮影をしていた時のことである。その日はあちこちから野焼きの煙が上がっていた。午後になって煙がかなり近づいてきていることに気がついた。岩山の下に車を止めているが、そこへ火が徐々に迫っている。朝通ってきた道路沿いをこちらへ近づいている。反対方向の道路を見ると別の野焼きが近づいている。挟み撃ち状態である。

僕は草木のない岩山にいるので火に囲まれることはないが、車のほうが心配だ。もはや火の行く先を監視しているだけで、撮影どころではなくなっていた。最初のうちは煙で野焼きの場所がわかる程度だったのが、今では高く燃え上がる炎が時折見えるようになっている。急いで機材を片づけて岩山を下って車に戻った。とりあえず一か八か車で逃げるしかない。来た道を戻る。少し走ったところで前方から煙がどっと流れてきた。これはやばい、火は近い。車一台が通れる程度の狭い地道をUターンができるところまで慌ててバックする。しかし、反対側からも炎は近づいている。燃えさかる火のそばを通ると車に引火するかもしれない。

その時、煙の中から一台の車が走り出てきた。楽しそうにこちらに手を振っているのを見て今までの緊張が一気にほぐされた。道路を走って野焼きを通過する分にはそれほど危険はなさそうだ。気を取り直して煙の中へと入ってみた。炎は小康状態になっていて危険はなかった。

2度目は、山の林の中でブラインド(人間の姿が動物から見えないようにつくった簡易的な隠れ家)に入って動物が現れるのを待っている時だった。どこからか煙のにおいがしてきた。そのうちに煙が漂い始めたので僕はブラインドから飛び出し、まわりの様子を確かめた。炎はだいぶ迫ってきているようだ。風向きからしてまもなくこっちに来ることは間違いない。

布で作った簡単なブラインドを引きちぎるように大慌てで回収し、機材を担いで逃げ出した。心臓はどきんどきんと高鳴っている。登ってきた方向はすでに炎が来ているようだ。反対方向へ歩いて大回りして戻るしかない。麓に到着してさっきまでブラインドを張っていたところを見上げると、バリバリと音を立てて燃え始めていた。危機一髪だった!?

アフリカでは自由に山や林を歩いて撮影できるナショナルパークは数少ない。あえて歩きまわれるフィールドを探して猛禽類の撮影にチャレンジしているのだから、こうしたハプニングを避けては通れないのかもしれない。

Vol.52 ニホンカモシカ:ツキノワグマを追い払う



クマの行き先を監視するカモシカ。逃げるクマと追跡するカモシカ。

カモシカは、他の野生動物に比べてあまり人間を恐れない。

これは、1934年に天然記念物、1955年に特別天然記念物に指定され、50年以上もの間人間に追われることがほとんどなかったからなのかもしれない。かつては幻の動物と呼ばれるほどに生息数が減少していたようだが、現在では、山で出会う可能性が最も高い哺乳類と言えるくらいに生息数が増えている。

山を歩いている時にばったりと出くわすと、カモシカはシェッ、シェッと吐き捨てるような声で鳴きながら逃げて行く。時にはキョトンと立ち止まってこちらの様子を見ている個体もいる。

至近距離で出会っても、こちらを気にせずに悠々と座って反芻をしているような大胆なカモシカもいる。この大胆なカモシカは、集落の近くや登山道など、人の出入りがある場所で生活し、普段から人間を見慣れている個体であることが多い。

おとなしくて優しそうなカモシカだが、野生で生きていくためにはおとなしいばかりでは生きられない。果敢にツキノワグマを追いかけるカモシカを観察したことがある。

ある晩秋のこと、1頭のツキノワグマが山の斜面を慌てて走って来た。血相を変えて灌木をなぎ倒さんばかりの勢いである。クマは僕のすぐ近くを横切り斜面を下って走り去った。

その直後、クマが最初に出てきた方向からバキッバキッと枝を踏む足音が聞こえてきた。振り向くと、今度はカモシカが軽やかに灌木を飛び越えながら走っている。所々で立ち止まり、クマの行き先を注意深く見ている。カモシカはクマとほとんど同じコースで走って来る。

カモシカは、僕のすぐ近くで立ち止まった。カモシカは僕のことなど目に入らない様子で、クマが走り去った方向を注視している。しばらくはそのままクマの動向を確かめているようだったが、やがて向きを変えゆっくりと元来た方向へと戻っていった。

クマがカモシカの幼獣を襲うことはあるかもしれないと思っていたが、カモシカがクマを追い払うとは考えたこともなかった。しかし、この状況から見て明らかにカモシカがクマを追い、クマが血相を変えて逃げていたと考えてほとんど間違いないだろう。このカモシカは雄であったから、子供を連れているわけではない。子供を守るためと言うよりは、なわばりの安全を保つためにクマを追い払ったのではないだろうか。

10年ほど前にもこれと似た場面を観察したことがある。その時カモシカが追い払った相手はキツネだった。雪の上を1頭のキツネが僕のいるところに近づいて来た。ほとんど人が来ることのない深い山の中だったので、キツネは人間を警戒していなかったのだろう。わずか数メートルのところまで来た時、キツネはようやく僕に気付き立ち止まった。

キツネは頭を上げてこちらを見て臭いをかいでいる。僕が微動だにせずにいると、キツネは何か怪しいが何だか分からないといった様子で戸惑っている。キツネはそれ以上近づくのをやめて、方向を変えて歩き出した。

キツネが対岸斜面を歩き始めた時、後方からカモシカが猛烈に突進してきた。頭を下げて角でキツネのお尻を突かんばかりの勢いだ。キツネも慌ててダッシュして危機一髪で逃げ切った。カモシカは深追いはしなかった。

普段はゆったりのんびりと生活しているカモシカだが、野生で生きるためにはこうした気性の荒い一面も必要なのだ。

Vol.51 ツキノワグマ:目覚め



細い枝先で新芽をむさぼる母子グマ。子グマを抱えるように樹の上で眠り目覚める。

新緑のまばゆさが少し色あせ、里では徐々に濃い緑へと変わりつつある。しかし、高い山はまだ春である。

樹々が少しづつ芽吹き始めて、黄緑色の新緑が点々と広がる頃、冬眠から目覚めたツキノワグマが新芽を食べに樹に登る。こんな姿がよく見られるのは、4〜5月ごろである。林床を歩くクマは、樹木の陰になってなかなか見つけにくいものだが、葉が繁っていない樹にクマがいると、以外に遠くからでも発見できるものだ。

4月中旬、山の中腹の樹上に黒い塊を見つけた。双眼鏡で確認すると、予想通りクマである。人間にはとても登れそうもない細い枝先で、芽吹き始めたばかりの葉をムシャムシャと食べている。クマが動くと枝は大きく揺れている。今にも枝が折れてしまいそうである。クマはそんなことなどまったく気にしていない。近くに2頭の子グマがやって来て一緒に新芽を食べている。人間なら樹にしがみついているのが精いっぱいで、そこで食事をするなどあり得ないことだ。

2年目と推測される子グマたちも、母グマに負けないくらい上手く樹上で行動できる。樹の揺れに逆らうことなく樹の動きと一体化している。母グマが食べることに集中しているのに対して、子グマたちは樹の上をうろうろと歩き回って、遊びたくて仕方がない様子である。食べることにはなかなか集中できないようなのだ。

数日後、母子グマがいたところから200mほど離れた枯木に、1頭のクマが登って眠っていた。横に伸びた2本の枝に体をあずけて眠り続けている。こんな不安定なところで落ちないのが不思議である。熟睡するとバランスを崩して落ちてしまいそうだ。クマは浅い眠りでバランスをとりながら寝ているのかもしれない。その証拠に、時々頭と前脚を少し動かしている。
しかし、なぜこんな危険なところで眠るのだろうか。地上付近には、ダニやヒルがいるのでそれを避けるためかもしれない。クマ自身は樹の上が危険で居心地が悪いというふうには、まったく思っていないのだろう。

2時間が経った頃、クマは目覚めて立ち上がった。するとそのクマの胸元から1頭の子グマが姿を現した。1頭と思っていたクマは、子グマを抱えるようにして寝ていたのだった。

母グマは、伸びとあくびをしたあと、子グマを先導するようにゆっくりと木を降り始めた。所々で何度も立ち止まって子グマに手を差し伸べるような仕草をしている。母グマは、子グマがかわいくて仕方がないようだ。頭を上にして、後脚で慎重に探りながら降りていく子グマの姿に、僕も思わず「かわいいなあー」とつぶやいている。母子グマは地上に降りて、林の中へと姿を消した。

クマたちの樹上での行動を見ていると、樹の上が非常に心地良さそうに思えてくるのだった。