Vol.30 アフリカ撮影記 Ver.7

シロサイの糞を割って見せてくれるパトリック

キャンプでの生活は、非常に快適なものであった。ロッジは掃除が行き届き気持ちが良いし、ここの人たちはいつもやさしい笑顔で挨拶を交わしてくれるので安心して滞在ができる。

食料やガソリンが手に入りにくいジンバブエで三食と送迎が付いている。早朝に車で撮影地の近くまで行く。そこからガイドのパトリックが昼食を持ち、我々は機材を持って撮影場所までの登山である。

パトリックは優秀なインタープリターである。野生動物はもちろんのこと、植物やブッシュマン・岩やケーブのことなど、この地域のあらゆるものについて豊富な知識と経験を持っている。しかし今回、我々のガイドをするのはいつもとは勝手が違っていたであろう。

いつもならばパトリックが知っている場所にお客を案内して回るのだが、今回は我々が行くところへ付いてきてもらった。撮影場所では静かにして目立たないようにしながら夕方まで待機である。普通の人なら退屈しそうなものだが、パトリックはいやな顔ひとつしていない。それどころか、そこから野生動物を探して小声で我々に教えてくれたり、ブラックイーグルの動きを追跡して必要な時に教えてくれたりと、非常に楽しそうに過ごしている。パトリックは根っからの自然好きなのだ。野外での一日の過ごし方を心得ている。

ガイドが時間を持て余してしまって、我々が気を使わなければならなくなるのではないかという当初の不安は無くなった。一日中同じ地点から動かない撮影に、我々と同じ気持ちで付きあえるガイドは少ないだろう。

撮影が順調に進み少し余裕ができると、周辺地域の野生動物や何ペアものブラックイーグルの繁殖状況を見て回った。こうなるとパトリックの出番だ。ブッシュの陰に潜むシマウマやヌー・クドゥー・エランドなどを、車を走らせながらも一瞬のうちに見つけ出してしまう。

すばらしい視力だ。しかしながら、僕も負けてはいられない。野生動物を見る目には自信がある。パトリックが動物を見つけた時は、僕が「オーすごい」と唸り、僕が見つけた時には、パトリックが「オーすごい」と唸る。お互いに意識しながら動物探しが続く。

パトリックは時々車を止めて、地面に着いた動物の足跡を調べている。砂地に着いた足跡から、動物の種類やいつごろ通ったものかなどの詳細な情報を読み取っている。動物の糞をひとつひとつ手に取って、解説してくれる。シロサイとクロサイの糞の外観は似ているが、内容物で見分けることができるらしい。シロサイは草本植物を食べているので糞の中は柔らかい繊維だけであるが、クロサイは木の葉を食べるために堅い木の枝が糞の中に含まれている。

見せてもらったクロサイの糞の中には細い木の枝がたくさん入っていた。

僕が数年前に最初にジンバブエを訪れた時に見つけた、20巣以上のブラックイーグルの巣も一緒に見てまわり繁殖状況をチェックした。昨年繁殖に成功したペアの多くが今年は繁殖していない。繁殖成功率は50%前後であろうと想像された。

野生動物がたくさんいて、ブラックイーグルの獲物となるダッシーもたくさんいるこの地においても、逃げ足の速い獲物を捕獲することは非常に難しいようである。ブラックイーグルが、ヒナを育てている巣に運んでくる獲物の量に余裕はない。

Vol.29 アフリカ撮影記 Ver.6

ケーブの壁に描かれたブッシュマンの絵

翌年も季節を変えて再度ジンバブエに向かう予定であったが、ジンバブエはイギリスの経済制裁などによって政情が悪化していた。

食料やガソリンが不足して暴動も起こっているとの情報があり、外務省も渡航自粛を呼びかけていた。ジンバブエに入っても自由に撮影をすることはほとんど不可能と思われた。

我々は政情の回復を待った。しかし、2年待っても状況は変わらない。3年目に再度挑戦することにした。相変わらず政情は良くないが、少しは落ち着いてきたようである。食料とガソリン不足は変わらず、我々が正規のルートでこれらを入手することは難しい。

食事付きで撮影地までの送迎が可能な、私設のサファリキャンプに滞在して撮影を継続することになった。

ジンバブエの空港に到着し、緊張しながら空港を出る。ガイドのパトリックが迎えに来てくれている。がっちりとした体格で明るく感じの良い笑顔に、我々の緊張は一気にほぐされた。

荷物を積み込んでキャンプへ向かう。町の中は、3年前に来た時より人通りが少なくなって活気がない。土産物や食料品など、露店のほとんどが無くなっている。やはりガソリンは不足しているらしく、ガソリンスタンドは閉まっている。1軒だけ開いているスタンドには、何百メートルも車の列ができているが、店員が給油をしている様子はない。パトリックに聞くと、燃料が無くなって今日の販売は終了しているらしい。並んでいる車は、明日入荷される燃料を待っているのだという。

町を抜けると、そこは以前と変わらぬ風景である。もともと、荒野が続き、所々に放牧された牛がいて、時々歩いている人間に会う程度なので、ほとんど変わりようもないのだ。

数十キロ走って、車は一本道の幹線道路を外れてキャンプへと続くダートコースへ入った。キャンプのシンボルマークであるフクロウを描いた看板のあるゲートに着いた。ここから先はキャンプの私有地である。有刺鉄線と木の枝で作った柵が続いている。ジンバブエでは、私有地や国立公園の境界は、こうした手作りの柵で囲まれている。

草原や森林地帯を抜けてしばらく走った岩山の上にキャンプはあった。岩山の上に大きな岩が重なり合うように乗ってケーブを作っている。かつて遠い昔、このケーブはブッシュマンが利用して雨風をしのいでいたものだ。土で作った直径80cm、高さ120cmほどの、臼のようなフードストッカーが今も残っている。

この地域には、ブッシュマンが暮らした同じようなケーブが点在する。彼らは、定住せずに野生動物を狩りながら移動生活をしていた。多くのケーブには、ブッシュマンが描いた壁画が残っている。その絵は野生動物と人間を描いたものが多い。動物の特徴をうまくとらえたすばらしい絵である。使われている赤い絵の具は、土や草の汁、動物の血や卵など何十種類もの材料を混ぜ合わせて作られているらしい。数千年から1万年程前に描かれたものが、現在も鮮明に残っているのだ。

見渡すかぎり人工物が見えない景色は、有史以来変わっていないだろう。今、僕はブッシュマンが見たのと同じ景色を眺め、撮影のために野生動物を探している。野生動物の行動を読み、狩りをしていた彼らに親近感を持った。

Vol.28 アフリカ撮影記 Ver.5

岩の上で遊ぶダッシー(Dassie)の子供

ブラックイーグルが棲む岩山で、最もよく目にする動物はダッシー(別名ハイラックス)である。

ダッシーは、体長40〜60cm、体重2〜5kgで、ブラックイーグルにとってちょうど手ごろな獲物である。ジンバブエのブラックイーグルは、獲物のほとんどをこのダッシーに依存している。

ブラックイーグルのテリトリーの至る所で、ダッシーの小さな群れが岩の上で休んだり、走り回ったりしている。食うものと食われるものがお互いの姿を目にしながら暮らしている。ブラックイーグルはダッシーの動きを監視し、狩りのチャンスを狙っている。ダッシーは危険が迫ると岩のすき間に素早く逃げ込んで難を逃れる。常に緊迫した状況にあるはずだが、僕にはダッシーが緊張してビクビクしながら暮らしているようにはまったく見えない。むしろブラックイーグルをからかっているようにさえ思えてくるのだ。

夜間は、気温が10℃以下に下がるため、ダッシーは朝になると岩の上に出てきて、日光浴を始める。岩の上にたたずみ、全身に太陽の光を浴びている。体が温まったダッシーは、大胆にも全身を伸ばし、まったくの無防備な体勢で岩の上に横たわる。中には、ブラックイーグルが真上を旋回していても、この無防備な体勢を崩さないダッシーもいる。

ブラックイーグルは、岩に止まってあるいは上空を飛翔しながら、遠くからダッシーの動きを監視している。ブラックイーグルがスピードを上げ、接近してきた時に初めて、くつろいでいるように見えたダッシーの群れは、警戒の声を上げて一気に岩のすき間へ逃げ込んでしまう。無防備に眠っているように見える体勢の時、まわりへの警戒は最大になっているのかもしれない。ブラックイーグルもそのことを心得ているのか、日光浴をしているダッシーを遠くから見ているだけである。

どんな時にブラックイーグルには狩りのチャンスがやって来るのだろうか。実は、ダッシーが岩の上でのんびり過ごしていてその姿がよく見える時ではなく、比較的目に付きにくいのだが、木の上や地上に降りて採食している時が、まわりへの警戒が手薄になっている時である。また、採食地へ移動中に逃げ込む隠れ場所が無い場合もチャンスである。

ブラックイーグルはじっくりとダッシーの行動を観察し、狩りのチャンスが来るのをひたすら待っている。やがて油断している一匹に狙いを定めたブラックイーグルが静かに飛び立ち、一直線にダッシーに向かう。しかし、襲いかかる直前に気づかれたり、まわりにいる他のダッシーの警戒声で気づいて逃げられたりと、狩りの成功率は低い。

非常に多くのダッシー(獲物)のいる岩山に暮らしているブラックイーグルは、獲物には事欠かないと考えていたが、それほど単純なものではないようだ。

日本のイヌワシでは、ノウサギなどの獲物が減少したために、食物不足で繁殖成功率が低下している。日本のイヌワシは、獲物が見つからないために厳しい生息状況が続いている。

ジンバブエのブラックイーグルは、たくさんの獲物を目の前にしながら手を出せずに厳しい生活をしている。どちらもなかなか厳しい状況である。

Vol.27 アフリカ撮影記 Ver.4

快晴の大空を飛翔するブラックイーグル

漆黒の全身に、背中から腰にかけてX字に交差する純白の羽毛の帯。くっきりとしたコントラストが青空に映える。ブラックイーグルが美しく大空を舞う。

僕が日本で追い続けている華麗なる飛行家イヌワシは非常に魅力的なワシであるが、ブラックイーグルもまたすばらしい飛行技術の持ち主である。飛行する姿が世界で最も美しい鳥と研究者に言わせたブラックイーグルは、空中の一点に停止する停空飛翔や波状飛行はもちろんのこと、宙返りもするというから一度この目でじっくりと見たいものだ。僕がイヌワシの次に撮影したいとあこがれ続けていたのがブラックイーグルなのだ。

キャンピングカーで生活しながらブラックイーグルを探し、自分の目でその行動を観察して撮影に挑む。ブラックイーグルはどんなふうに生活しているのだろうか。出会いが楽しみだ。

ブラックイーグルはごつごつと岩肌がむき出しになった丘のような岩山で暮らしていた。彼らを探すのはそれほど難しいことではなかった。日本でイヌワシを始めとした猛禽類を長年観察して身に付いた勘に狂いはなかった。1週間の滞在で20ペアの営巣地を発見し、彼らの行動をじっくりと観察することができた。

僕が訪れた8月末から9月の初めは、育雛期であった。ペアによってヒナの生長段階には1ヶ月以上の差があった。早く生まれたヒナは、茶色い風切羽などの羽毛が生えそろいほとんど一人前のように見える。遅いものでは、まだ羽毛が生えずに全身が白い綿毛で覆われている。日本のようにはっきりとした四季のないジンバブエでは、ペアごとに繁殖時期が大きくずれている。日本のイヌワシでは、同一地域であればほぼ1週間以内のずれである。日本では、野生動物たちは季節の変化に合わせて正確に行動しているのだとあらためて納得する。

ジンバブエでは四季の変化よりも、乾期と雨期という2つの季節の影響を大きく受けている。ブラックイーグルの産卵から育雛は乾期に行われる。毎日が雲ひとつ無い快晴である。今は冬期でなので気温は少し低めである。特に朝は10度以下にまで冷え込むために防寒服が必要だ。しかし、日中は30度近くまで気温が上がり汗ばむ陽気になる。それでも乾燥しているためにさらりとして過ごしやすい。

ブラックイーグルはいつもペアで現れた。付かず離れず飛行し、同じ岩や木に止まる。彼らは、僕が今までに見たどの猛禽よりもペアで行動することが多かった。ペア行動の多さは、彼らが生きていく上で最も重要である獲物の確保、すなわち狩りの成功率を高めることに役立っていると推測されるが、確固たる証拠は今のところ得られていない。

ブラックイーグルの獲物のほとんどが岩山に住むハイラックスである。危険が迫ると近くの岩穴に素早く逃げ込むハイラックスとブラックイーグルペアの攻防が毎日繰り返される。

Vol.26 アフリカ撮影記 Ver.3

巨大な翼を広げて悠々と飛翔する

ヨハネスブルグを出発して3日目にしてようやく国境に到着した。

出入国事務所の駐車場へ入ったところで、2、3人が我々の車の前に来て、駐車場の端の大型トラックの後ろに並ぶように先導した。順番待ちと思い、手渡された出国手続き用紙(本物)に何の疑いもなく記入した。この用紙と入国査証代金をUS$100の紙幣でその男に支払った。3人で90ドルなので10ドルの返金があるはずだが、受け取った男の方を振り返ると徐々に我々から遠ざかっている。

その時になってだまされたことに気がついた。車から飛びだして追いかけたが、相手は長い足で素早く走って事務所の建物に入っていった。続いて僕も飛び込んだが、逃げた男は見当たらない。100ドルは取られてしまったが、お金だけですんだのは運が良かったと思ってあきらめることにした。

その後も、こそ泥的なものには何回も遭遇したが、この時の教訓が生かされて大事に至るようなことはなかった。この地では、こそ泥的な犯罪は日常茶飯であり、だまされるほうが悪いのだ。

初めて訪れた南部アフリカは、話に聞いていたとおり赤茶けた大地だった。それでも樹木は思っていたより繁っている。とは言っても、日本のような立派な森林ではない。灌木あるいは疎林といったところである。林床の植物は少なく赤茶けた土が露出している。

ジンバブエまでの道中に、道路脇の木や上空に数十羽のケープバルチャー(ハゲワシの一種)が集まっているところがあった。近くに動物の死体があるに違いない。まわりを見渡すとバルチャーが舞い降りていく場所に牛の死体があった。

広大なエリアを飛び回って死体を探すバルチャーは、相当な視力の持ち主である。獲物を発見した仲間を見つけて、周辺から次々と集まってくる。はるか遠くを飛翔する仲間の姿を見つけて、飛び方などからそこに獲物があるかどうかまで見分けているのだ。

巣から100km以上も離れた遠くまで獲物を探しに出かけることがあるらしい。すごい飛翔力である。高空を滑翔していく姿を見かけるのは、獲物を探して長距離移動中なのかもしれない。普段から長距離移動をする鳥であるだけに、帆翔や滑翔をする姿は悠々として様になっている。

次々と死体の近くへ舞い降り、ゆっさゆっさと体を揺さぶりながら駆け寄って、押し合い圧し合い死体をむさぼっている。

腹いっぱい食べて重くなった体で、少し助走をつけてなんとか飛び立っていく。素嚢に肉を詰め込んで、ヒナの待つ巣へ向かう。ため込んだ肉片を巣の上で吐き戻してヒナに与えるのだ。

近年では、野生動物の死体が少なくなったことや家畜の死体を放置しなくなったことによりバルチャーの数が減りつつあるようだ。南アフリカでは、生息数が減少しているバルチャーの保護活動が各地で行われている。

アフリカでは、野生動物の主な生息地は国立公園や私設の動物保護区に限られている。この中は厳重に管理され護られている。しかし、一歩外へ出た私有地では、家畜や農作物が獣にやられないように囲いを造って進入を阻み、これまた厳重に守られている。アフリカでは、野生動物と人間の生活圏を分けることで、広い意味での共存が実現している。

日本では国立公園は厳重に守られているとは言い難いが、現在まで野生動物と人間が同じ地域でなんとか共存してきた。これは先進国としては、極めて希有な状況である。このままの共存関係を守り続けられれば、世界に誇れるすばらしいことである。

Vol.25 アフリカ撮影記 Ver.2

ブッシュの陰からこちらの様子をうかがう2頭のキリン

飛行機は予定通り早朝6:30分にヨハネスブルグに到着した。撮影機材が無事に到着しているかどうか気掛かりだ。

荷物が出てくるターンテーブルの前で待つが、我々の荷物は出てこない。やはり荷物は来なかったのかと不安になり始めた時、ターンテーブルから少し離れた床の上にたくさんの荷物が置いてあるのに気がついた。荷物の山の中から次々と我々の荷物が発見された。荷物だけが早い便で到着して、ここに置かれていたようである。とにかく全部の荷物がそろった。

キャンピングカーを借りて、陸路でジンバブエに向かった。今日中にはジンバブエの国立公園までたどり着き、そこでキャンプの予定である。南アフリカは通過だけなので現金を使うこともないと思い、両替をせずに走り出した。出発前に問い合わせたツアー会社の担当から、クレジットカードがほとんどのところで使えることを聞いていた。

レンタカー会社でもらった地図だけを頼りに、目的地まで行けるのかどうかかなりの不安がある。なんせ道路地図とはいえ、日本で見るような詳細な地図ではないのだ。道路地図の1ページに日本全土が入るくらいの縮尺の地図である。

案ずるより産むが易しで、走り出してみると意外となんとかこの地図で走っていけるものである。縮尺が大きいので、相当走ったと思って地図を見ても地図上ではほんのわずかしか移動していないのだ。ジンバブエとの国境までは予想以上に時間がかかりそうだ。

しばらく走ると前方に料金所が見えてきた。両替しなかったために南アフリカの通貨(ランド)がない。以前に南アフリカに来たことがあるスタッフの一人が、残った小銭を持っていたのでそれでなんとか切り抜けた。ほっと安心したのもつかの間、また料金所がやって来た。南アフリカの通貨はさっきの料金所で使い果たしてしまった。クレジットカードも使用できないと言う。

どこかの街まで引き返して両替をするかどうか検討することにした。しかし、悩んだ末にVISAカードが使えないはずはないだろうという結論に達した。もう一度、今度は違うレーンで挑戦してみることにした。使用できるかどうか分からないが、とにかくカードを機械に通して試してくれた。不思議なことに今度は使用できた。

夕日が山に沈もうとしているというのに国境まではまだ遠い。道路脇でキャンプするのは非常に危険である。どこでキャンプしていいのかも分からないまま、あたりは暗くなり始めた。100kmほど走ったところにベンレーベンという私設の動物保護区があるのを地図で見つけた。ここなら安全にキャンプができるかもしれない。

日はとっぷりと暮れて、ようやくベンレーベン動物保護区の入り口に到着した。入場料の支払いにクレジットカードが使用できるように祈るしかない。カードOKと聞いてほっと胸をなで下ろした。

翌朝、水場にはたくさんの小鳥たちがにぎやかに囀りながらやって来た。僕はこののどかな動物保護区を散策してみたくなった。動物を探しながらゆっくりと車を走らせる。ベルベットモンキー・マングース・インパラ・クドゥなど、じっくりと見ることができた。2頭のキリンは近くの潅木地帯から我々の様子をうかがっている。徐々に細い木の後ろに入り、丸見えだが隠れているつもりらしい。

ベンレーベンを出発したのは午後になっていた。町へ寄って少し食料を買う。両替のために銀行を捜すが土曜日なので閉まっている。今日も国境の直前で日が暮れた。キャラバンパークを見つけてキャンプとなった。簡単な食事を取り、早めに眠った。

翌朝は、まわりを歩き回るホロホロチョウを見ながら朝食を取り、すぐに出発した。1日の予定であった国境越えに3日を要した。いよいよジンバブエ入りだ。

Vol.24 アフリカ撮影記 Ver.1

ヨハネスブルグからはキャンピングカーの旅が始まる

ジンバブエは今朝も快晴だ。体が引き締まる冷気があたり一面に漂っている。ここは標高1,300mの高原であるため、冬季の朝夕には気温が10度以下にまで下がるのだ。

ジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北側に隣接する。四季はあるが日本のようにはっきりしたものではない。6〜9月まではほとんど雨は降らないが、10〜5月まではスコールのような雨が降ることが多い。

天気図とにらめっこしながら撮影予定を立てる日本とは違い、乾期のジンバブエでは、雨や雪で撮影が進まないという悩みはまったくない。あとは動物の動きを予測して撮影に集中するだけである。

初めてのジンバブエ入りは前途多難をうかがわせるものであった。関西空港から飛び立った飛行機は香港、南アフリカのヨハネスブルグへと乗り継ぐ予定であった。しかし、飛行機は香港の手前で急きょ方向を変え、フィリピンのマニラ空港へと向かったのだ。香港空港で飛行機の横転事故があり、空港が閉鎖されてしまったらしい。マニラ空港は非難してきた飛行機と旅行者でごった返していた。

夜も更けてようやく航空会社が用意したホテルへの送迎の順番が回ってきた。我々を乗せたタクシーは、信号で並んだ隣の車とカーチェイスをしながら、ホテルへ向かってぶっ飛んでいった。最後の方に割り当てられたホテルは、かなりランクの落ちるものだった。長い間使用されていなかったシャワーからは、しばらくの間赤さび色の水が流れた。とにかく今夜はゆっくりと眠って、香港空港の一刻も早い再開を待つだけだ。

翌日の夕方、ようやく香港へ向かって飛行機が出発した。香港空港では、再開とともにあちらこちらの空港で待機していた飛行機が一斉に到着した。空港内ではマニラどころではない混雑が待っていた。乗り継ぎカウンターは人、人、人である。カウンターははるか遠く、いつになったら到達するのか見当もつかないが、ヨハネスブルグ行きは23:50分発なのでまだ十分時間がある。

何時間経ってもまったく前に進まない。カウンターの前にいる人も入れ替わっていないのだ。係員が行き先の地名を大声で叫ぶと、その便に乗りたい人のパスポートが後ろの方から次々と手渡されてカウンターまで運ばれていった。歩いて行きたくてもぎゅうぎゅう詰めで身動きも取れないのだ。しばらくすると前の方からパスポートが手渡しで後ろの方へ戻っていった。他人事ながら、パスポートが戻っていったのを見てほっと安心した。パニック状態の中、よくぞ同じ方向にパスポートが返ってきたものだ。こんなことを繰り返しながらも、人はまったく減ってはいない。カウンター内がもう機能していないのだ。

ようやく進展がみられたのは、すでにヨハネスブルグ行きの便が出発してしまってからであった。夜中を過ぎてようやく、カウンターにたどり着き交渉が始まった。しかし、今日(すでに0時を過ぎているので翌日ではない)はヨハネスブルグ行きの便がなかった。何を言ってももうどうすることもできない。翌日の便を予約してホテルにチェックインしたのは、朝の5時を過ぎていた。預けた荷物は今ごろどこへ行っているのかも分からず、着替えも何もないままの香港滞在となってしまった。

予定より3日遅れてヨハネスブルグへ向かって出発した。ヨハネスブルグからは、キャンピングカーを借りてジンバブエまで陸路による国境越えの予定だ。撮影機材や着替えなどすべての荷物は無事にヨハネスブルグへ到着するのだろうか。不安は残るが、とりあえずジンバブエへの旅が再開した。

Vol.23 サシバ:渡りをするタカ

上昇気流を捉えて高度を上げ一直線に渡っていく

「ピックィー」。4月の晴れ渡った空からサシバの懐かしい鳴き声が聞こえてくる。

サシバは、秋になると一斉に南へ旅立ち東南アジア方面で越冬する。近畿地方へは、毎年4月初旬に帰ってきて繁殖を始める。春になると今か今かとサシバの声を心待ちにしてしまう。

サシバは里山を代表するタカである。田んぼや畑がある丘陵地帯でよく見かける。田んぼや畑の脇の電柱に止まり、カエルやヘビ・モグラなどを探している。獲物を見つけると素早く急降下して捕まえ、巣へと運んで行く。かつてののどかな里山の風景である。かつてと書いたのは、近年サシバの個体数が激減しているように感じるからである。田んぼや畑に出てきて獲物を探す姿を見ることが少なくなった。田んぼや畑にサシバの獲物となる小動物が少なくなってしまったのだろう。外見上は大きな変化のない里山地域においても、サシバの生活の変化から推察すると生物多様性が失われ始めているのではないかと思われる。

また、サシバの個体数が減っているのは、越冬先の問題なのか繁殖地である日本の問題なのか、両方が関係しているのかをはっきりとさせてその地域の豊かな自然環境を取り戻す必要性が出てきそうだ。

4月になって繁殖地に戻ったサシバは、ペアで巣造りをして、5月の上・中旬頃に産卵する。2?3羽のヒナを育て、ヒナが巣立つのは7月の上・中旬頃である。巣立った幼鳥も2?3ヶ月後には、海を越えて長距離の渡りをする。長距離の渡りは相当な危険をともない、特に、経験がなく飛行技術の未熟な若いサシバはさらに危険度が高くなるだろう。

春の渡りでは大群となることはほとんどなく、三々五々各地へ姿を現すが、秋の渡りでは各地から合流したサシバが大群となることが多い。愛知県の伊良湖岬や鹿児島県の佐多岬などは、数万羽のサシバが通過する場所として有名である。これらの場所以外でも規模は小さいものの、各地で数羽から数十羽の群れが南西方向へと渡っていくのが秋晴れの空に観察できる。

30年近く前の10月上旬。有名な渡りの通過コースではない自宅の裏山で、20?30羽のサシバの群れが澄み切った青空をバックに現れた。それぞれが流線型に翼をすぼめて垂直急降下や急上昇をしたり、2羽がもつれ合うように追いかけあったりと素晴らしい空中ショーを繰り広げた。非常に長い時間夢中で見ていた記憶があるが、今思うとたぶんほんの数分間のことだったであろう。

里山で止まって獲物を探しているサシバとは一味違う活発でかっこいいサシバの一面だった。その後、これほど華麗な飛行をするサシバの群れに出会っていない。この日の華麗なる空中ショーの感動は、今でも心に焼き付いて鮮明に覚えている。サシバの俊敏な急降下を見るたびに思い出すのだ。

Vol.22 ツキノワグマ:森の愛嬌者

立木に寄り掛かって一休み

雪解けの頃から木々が芽吹いて葉に覆われるまでの間が、1年のうちで最もツキノワグマを観察しやすい時期である。

早春の林床は見通しがよく、遠くからでもクマの行動が観察できる絶好の季節だ。冬眠から目覚めたばかりのクマが残雪の上を歩き、若葉が伸びはじめた草原で柔らかい草を食べ、木に登って新芽をむさぼる。

早春のある日、イヌワシの撮影のために沢沿いを歩いていた僕は、対岸にあるタムシバの木にクマが登っているのを発見した。クマとの距離は100mくらいであるが、クマは僕には全く気づいていない。丸々と太った大きなクマだ。しばらく行動を観察する。直径5cmほどもある枝にかみついて、ねじるようにして一気に折り取る。普通の人間では及びもつかない怪力だ。クマは枝に付いた花を盛んに食べている。30分ばかり食べ続けたあと、頭を上に向けてお尻からモゾモゾと不器用そうに幹を降り始めた。木登りは得意で細い枝先まで器用に登っていくが、降りるのだけはどうも苦手なようである。降りる姿を見ていると、木の下に行ってお尻をつついてみたくなってくる。そのくらい愛嬌たっぷりなパフォーマンスだ。

さらにクマは憎めない。降りる途中の枝が混みあったところで一休み、昼寝を始めたのだった。近づいて撮影したいところだが、昼寝の邪魔をせず今日のところは目的のイヌワシの撮影に向かうことにした。

翌日、昨日のクマを待ち伏せする。昨日登っていたタムシバには、もちろんもうクマの姿はない。近辺のクマが出てきそうな林の中で、息を潜めて待つこと4時間半。斜面の下の方からガサガサと音が聞こえてきた。音はだんだんと近づいてくる。

僕の目の前10mの薮から姿を現したのは、期待どおりツキノワグマだった。クマがそのまま前進すれば僕に突き当たってしまう。カメラを静かにクマの方へ向けながらも、クマとの間合いをはかる。これ以上近づくのはお互いに危険である。

一瞬緊張が走ったのを知ってか知らずかクマが方向を少し変えた。僕の目の前をクマがゆっくりと歩いていく。黒い毛皮がたゆんたゆんと揺れている。クマは、僕がいることに気づいてはいないが、時々立ち止まって後ろを振り返る。何となく気配を感じているのかもしれない。

クマは人間に危害を加える動物として恐れられている。クマも人間を恐れている。お互いが相手を恐れて、できるだけ接近しないように生活しているのだ。この絶妙なバランスでお互いがうまく共存してきた。しかし、近年では人里に出没するクマが目に付くようになった。

人間はクマが生活できる森を残すことを約束し、クマには人里でいたずらしないように約束を交わしたいものだ。かつては暗黙のうちにこのような「約束」ができ上がっていたのではないだろうか。

Vol.21 猛禽類の生存戦略

人工物に止まるクマタカ

猛禽類は、個体数の減少や繁殖成功率の低下など、将来が危ぶまれる種類が多い中で、環境の変化にうまく順応してしたたかに生きる種類も少なからずいる。

猛禽類は警戒心が強く、人間とは距離を置いて生活していると考えられていたが、近年では都市部のビル街や市街地の公園で繁殖するものなど、人間の往来の激しい場所へ進出する個体が見受けられるようになった。オオタカやハヤブサの仲間は人間が作り出した新しい環境に順応して繁殖を始めている。

猛禽類の生存を左右する主な要因は、獲物となる動物の豊富さである。彼らは、都市部や郊外で増えているドバトやスズメなどに目をつけたのだ。中型のオオタカやハヤブサはドバトを主に捕食し、小型のハイタカやツミなどはスズメや他の小鳥を捕食する。

本来岩場で繁殖するハヤブサは都市部の高層ビルで繁殖し、森林性のオオタカの仲間は公園や郊外の林に営巣する。人間への警戒心を少しずつ和らげながら進出してきたのである。

市街地に進出する猛禽類がいる一方で、イヌワシやクマタカは山地に住み続ける。彼らはノウサギやヤマドリ・リス・テンなどを獲物とするために、市街地への進出はありえないだろう。イヌワシやクマタカは、昔ながらの自然環境が残る山地帯で生活し続けるしかないのだ。昔ながらの自然環境とはいっても、近年では奥山にまで開発の波が押し寄せ、彼らの生活も少しずつ変わってきている。

山地に住むクマタカだが、山の中にそびえ立つ巨大な人工物である高圧鉄塔をよく利用する。まわりの樹木よりも何倍も高い鉄塔は見晴らしが利くので、獲物を探すのにも周辺の見張りをするのにも非常に都合がいい。しかし、高圧鉄塔は感電の危険性がある。実際に感電して黒焦げになったクマタカの死体も見つかっている。飛行中に高圧線にぶつかる危険性もあり、海外の国立公園などでは、高圧線によく目立つ目印をつけたり、鉄塔の感電する恐れのある部分に止まれなくして、代わりに安全な位置に止まり木を取り付けているところがある。

高圧鉄塔はイヌワシにも利用価値の高いものだと思えるが、イヌワシが鉄塔に止まったのを一度も見たことがない。

猛禽類も環境の変化を有利に利用できるように少しずつその環境に順応してきている。獲物が豊富で営巣地が確保できるのであれば、少々の環境変化は受け入れてしまうのだ。しかし、市街地やその郊外の環境の変化は非常に早く大きい。1年後には営巣地や獲物が同じところで確保できるかどうかわからない。非常に不安定な生息地であることは間違いない。

人工物をほとんど利用することのないイヌワシは、環境の変化にも弱い猛禽だと考えられる。その分イヌワシの生息する山地帯は、近年の機械化された奥山開発に圧迫されてはいるものの、市街地周辺に比べると環境の変化は比較的ゆっくりしたものである。

環境への適応力が高い猛禽と、適応力は低いが変化の小さい生息地に住む猛禽、どちらの選択が有利だろうか?

個としては後者の方が、種としては前者の方が有利であろう。

さて、選択の余地があるならば、自分はどちらを選ぶだろうか。