Vol.40 イヌワシの生息環境を脅かす風力発電

風況ポールに当たる直前で回避するイヌワシ

地球温暖化に拍車をかけるCO2(二酸化炭素)の排出量削減を目指して、各地で風力発電の計画が持ち上がっている。

風力発電は、再生可能なクリーンエネルギーとして注目を集めている。しかし、この環境に優しいエネルギーも、風車の設置場所の選択を誤るとバードストライク(鳥類の風車への衝突死)が多発し、風車本体や道路・送電線などの建設によりCO2の吸収源である森林が伐採され、野生生物の生息地破壊も引き起こす。

風車のプロペラは、先端部で時速300km以上になることもあり、鳥の目にはプロペラが見えなくなってしまうのだ。この現象は「モーションスメア現象」と呼ばれている。

5,000基あまりの風車が立ち並ぶ米国のアルタモントパスのウィンドファームの例では、猛禽類だけで年間1,000羽前後が衝突死している。日本国内では北海道苫前町にある3基の風車近くで、2004年2月と3月に相次いでオジロワシの切断死体が発見されている。また、2004年9月には、根室市の5基の風車近くでオジロワシの切断死体が発見された。

風力発電が、環境に優しいクリーンなエネルギーとして機能するために、以下のような場所への設置は避けるべきだと考えられている。

・渡り鳥のルートになっている地域
・希少種の生息地
・国立公園や鳥獣保護区など
・風車の建設によって自然環境の価値が下がる地域

また、新エネルギー財団では、風力発電を設置するには、その場所までの搬入道路があることや、近くに高圧送電線が通っているなどの条件を満たすことが必要であると明記している。

風力発電は、再生可能なクリーンエネルギーとしての利用価値は十分にあるだろう。しかし、巨大な風車を設置するのだから自然環境や野生生物への影響が大きくなることも忘れてはならない。

ところが、避けるべき場所での風車建設計画が、全国に多数存在している。その中のひとつに、滋賀県米原市の奥伊吹地域に計画されている風力発電施設がある。ここは、天然記念物で国内希少野生動植物種に指定されているイヌワシの生息地である。胸高直径が60〜100cmのブナ林が残る動植物豊かな地域である。伊吹町(現米原市)が実施した動植物調査の結果では、積極的に自然環境を守る地域としてゾーニングされている。

風力発電計画地でのイヌワシの行動をビデオ撮影するために、7月に2日間現地で観察した。1日目、イヌワシは1回出現し、計画地尾根を横切って消えた。2日目、イヌワシは9回出現した。ペアで計画地の尾根に沿って獲物を探しながら何度も往復し、風車の設置予定地点を15回も通過した。

ここには風力や風向などを調べるために高さ約30mの風況ポール1本が立っている。ポールは何本ものワイヤーに支えられて立っている。イヌワシは獲物を探しながら下を見て飛行していたので、このポールとワイヤーに直前で気付いて回避するといった場面があった。これが風車であったなら、見えないプロペラに巻き込まれていただろう。

この地域に風力発電施設が建設されれば、イヌワシが風車に巻き込まれることは必至である。ブナ林を切り開き、道なき尾根部に道路や鉄塔・送電線を新設することにもなる。

奥伊吹地域は風車の設置を避けるべき場所なのだ。

クリーンエネルギーと地域振興を隠れ蓑に、この計画が推し進められようとしている。自然環境の指標種であるイヌワシを守らなければ…。

Vol.39 ムササビ:空飛ぶ哺乳類

夜になって洞から姿を現した。被膜を広げて滑空する(左上)。

木から木へと空中を滑空する哺乳類がいる。ムササビだ。

昼間は木の洞で眠っているが、夜になると活動を始める。あたりがすっかり暗くなって人間の目では洞がまったく見えなくなる頃、ムササビは洞から顔を出す。まわりの様子を窺った後、穴から出て幹を駆け上がる。前方に障害物のない枝に移り、前脚と後脚の間にある被膜を広げて一気に空中へと飛び出していく。

この一連の行動は毎日同じように繰り返される。巣穴から顔を出す時間は正確に決まっている。時間というよりは、明るさで決まるようだ。日の入りが遅くなる夏のあいだは、ムササビが出てくる時間も遅くなる。夏と冬とでは2時間以上の時間差がある。

幹を駆け上がるカサッカサッという微かな足音や、唸るような「ヴェェ」という鳴き声でムササビが活動を始めたことが分かる。音源の方向へライトを向けてゆっくりと幹や枝を探していくと、光を反射して輝く丸い2つの目がはっきりと確認できる。姿を探すよりも目を探したほうが確実で早い。

ムササビは大木がある森を好んで生活している。大木には巣穴となる洞があちこちに開いているからだ。身近なところでは、大木が残る神社の森がムササビの住み家となっていることが多い。こうした森の中で静かに耳を澄ませていると、ムササビが幹を登り枝を伝う微かな足音が聞こえてくる。「カッ」という単発的な音が突然したならば、それはムササビが滑空して幹に取りついた時の爪音である。

ムササビの滑空は鳥のような風切り音はしないので、幹に取りついた時の音だけが突然聞こえてくる。その音が、僕のすぐ脇にある木の根元から聞こえてくることもあるから、どこから飛んできたのかと驚かされることがある。暗闇の中で僕が頼れるのはこの微かな音だけである。ムササビは幹を駆け上ったり滑空したりと、活発に行動していても静かで、その気配を感じさせない。

7月のある夜、僕はムササビを探して神社の境内を歩いていた。この時期、ムササビはツバキの実を食べていることが多い。ツバキの木を1本づつ見てまわっていると、ジャンプすれば届きそうな枝につかまって、種子を食べているムササビを発見した。

ムササビは、真下から見上げている僕の様子を見ているが、逃げることも威嚇することもしない。ただ静かに僕を見ている。少し落ち着くと、また種子を食べ始める。ムササビを探していなければ、まったく気づくこともなく通り過ぎていただろう。

実は、たくさんのムササビが人間の生活圏内でひっそりと暮らしているのだ。集落のはずれにある家の脇に、巣穴のある1本のスギが立っている。集落の人たちは毎日ここを通るが、ムササビの巣穴があることに気づく人はいない。巣穴のまわりは木の皮が毛羽立っていて、常に使用されていることが分かる。夕闇とともにここからムササビが出かけていくのだ。

集落付近でもムササビを見るチャンスは多い。夕暮れ時、木の上からムササビの声が聞こえたなら探してみよう。ライトがなくても見つけられる可能性はある。声が聞こえたあたりの高い木を、空に透かしてしばらく待ってみよう。森の中は暗くなっても空は少し明るいので、空をバックに木から飛び立つムササビの姿を見ることができるかもしれない。

Vol.38 ツキノワグマ:人里への出没

夜のとばりが下りる頃、集落近くに現れたツキノワグマ。

落葉広葉樹林が広がる自然豊かな森にはツキノワグマが暮らしている。生息数が少なく姿を見ることは非常に難しい動物である。

しかし、近年では人里へ現れるクマが全国各地で目撃されるようになった。特に昨年の秋には、異常出没と言われるほどに人里に姿を現した。人とクマとの接点が増えると、クマによる人身被害が起こりやすくなるため、このようなクマは捕獲されてすぐに射殺されるか、生け捕りにされて懲らしめたあと他の場所に放獣(学習放獣)されるかのどちらかになることが多い。クマが人里に姿を現すことは、人間にとって脅威であると同時に、クマにとっても命がけの行為なのだ。

昨年の異常出没の時には、クマの大半は捕殺されてしまった。しかし、クマはもともと生息数が少ないので、短期間に大量捕殺することは避けるべきである。一気に個体数が減少し、小規模な個体群では絶滅してしまう可能性も十分考えられる。

「人間のいるところに行くと恐ろしいぞ」と言うことを常にクマに示しておくことも必要である。学習放獣や威嚇射撃での追い払い、時には適正な個体数コントロールの範囲内での捕殺も必要となる場面もあるだろう。

人里への出没の危険性は、クマ自身も十分に認識していることは間違いない。人間に見つかりやすい昼間に現れることはほとんどなく、日没後あたりが闇に包まれる頃になって集落に姿を現す。

庭にある柿の木に登って柿を食べたり、近くの栗の木で栗を食べたりと、出没の目的はほとんどが食物である。ツキノワグマの食性は、そのほとんどが植物質であり、人間を襲って食べるようなことはない。クマも人間もお互いが出会いを恐れている。突然の出会いに逃げ場を失ったクマが、自身や子供を守るために人間に襲いかかってしまうのだ。

人気のない山の中ではクマはどのような行動をしているだろうか。クマは昼間から堂々と活動している。春先には、ブナの木に登り新芽をさかんに食べている姿をよく見かける。そんな時、僕はクマへの接近を試みる。抜き足差し足、足音を忍ばせて近づき、いよいよとなると匍匐前進だ。クマのほうは、ムシャムシャと貪欲に新芽をむさぼっている。

僕はすぐ近くからじっくりとクマの様子を観察した。クマは、こんな山の中に人間がいることなど考えてもいない様子で、僕が少しくらい音を立ててもまったく気にしていない。

いよいよクマが人間の気配を感じたのは、臭いからだった。クマは突然鼻先を上げて臭いを嗅ぎ始めた。すぐにクマは少し慌てて、しかし貫録は保ちながら不器用そうにお尻から木を降り始めた。地上に降り立つと、僕とは反対側の谷へ向かって一目散に逃げていった。

クマが命の危険を冒してまで人里へ出没して食物をあさるのには、それなりの理由があるはずだ。命の危険を顧みないほどに空腹であるのか、それとも人里にある柿や栗などの味覚に引き寄せられてのことなのか。

いずれにしてもムダな衝突を避け、共に暮らしていきたいものだ。

Vol.37 イノシシ

闇の中から大きなイノシシが現れた

ほ乳類の多くは夜行性と思われがちであるが、昼間にもけっこう活動しているものが多い。

イノシシもそのひとつである。山の中で観察していると、沢を挟んだ山の斜面にある林の中から草地へと出てきて、土を鼻先で掘り返してミミズや昆虫類・植物の根などを食べている姿を見つけることがある。イノシシと僕との距離は300メートルほどあるので、イノシシは僕に気づかずゆったりと行動している。食事をしながら少しずつ移動を繰り返し、林の中へと消えていく。

ある日のこと、落葉広葉樹の林の中で僕が休憩していると、数メートル先に6頭の親子連れのイノシシが現れた。こんな時、僕は即座にその体勢のまま動かずに立木になったつもりで観察をする。微動だにせずにじっとしていると、人間がここにいることをイノシシたちははっきりと確認できないのである。

数メートル先のイノシシ親子は、一列に並んで数歩行進しては号令をかけられたようにピタリと一斉に立ち止まる。しばらくまわりの様子をうかがった後、また数歩進んで立ち止まる。

明らかに僕の気配を感じていることは確かである。それは臭いなのかもしれないが、人間が近くにいると言う決定的な証拠とはなり得ていないのだ。では音はどうであろうか。イノシシが歩いている時に素早く一回だけ手を叩いてみた。イノシシ親子はその瞬間に立ち止まった。僕は動かない。十数秒後、イノシシ親子は歩き始めた。僕はもう一度手を叩く。イノシシは立ち止まり、しばらくして歩き出した。

僕は中腰のまま動かずにいたが、一気にガバッと大げさに立ち上がってみた。イノシシ親子はクモの子を散らすように逃げていった。

イノシシの他にも、僕の目の前を悠々と通り過ぎて行った野生動物はたくさんいる。キツネもそのひとつだ。手を伸ばせば届きそうなところを歩調も変えずに歩いていった。キツネの名誉のために言っておくと、キツネは僕にまったく気づかなかった訳ではない。僕から30メートルほど手前に来た時、キツネは僕の気配を感じて立ち止まり、臭いを嗅いでいた。まわりには動くものがなく、人間は近くにいないと判断して再び歩き出した。キツネは安心して僕の目の前を通過していったのだ。

しばらくしてそのキツネが戻ってきた。40メートルほど手前で今度はそっとカメラのシャッターを押した。カシャッと言う小さな金属音がした途端に、キツネはバネがはじけるように方向を変えて逃げていった。タヌキやアナグマも目の前を通過していった。

しかし、僕が動かずにいても通用しない動物もいる。ツキノワグマは僕から10メートルほどのところまで来て、突然鼻を高く上げて臭いを嗅ぐと向きを変えて去っていった。ツキノワグマが逃げていくのはいつも鼻を上げて臭いを嗅いだ時であった。

夜に出会ったイノシシは、ライトを照らして撮影している僕をまったく気にすることなく、目の前で地面を掘り返して食事を続けた。夜は人間の活動する時間帯ではないと高を括って、人間に対する警戒心が散漫になっているのだろうか。昼間の神経質さからは想像もできない大胆さである。

Vol.36 ニホンイタチ

ウズラ小屋に現れたニホンイタチ

子供の頃、学校の行き帰りにたびたびイタチを見かけた。

いつも敏捷な動きで、一瞬のうちに目の前を通り抜けて石垣のすき間や物陰に隠れてしまった。「イタチさん、もう一度姿を見せとくれ。」と呼びかけると、再び顔を出してくれると母から聞いていた。そのようにすると不思議に、イタチは隠れた場所から顔を出して僕のほうを振り返った。

いつの頃からか、こうした呼びかけをしなくなったが、イタチはなぜ僕の呼びかけに応じて顔をのぞかせたのか、今でも不思議である。イタチは好奇心が強いために、大きな声がすると何事かと顔をのぞかせて確認していたのかも知れない。

次回イタチに出会ったら久々に試してみよう。はたして、再度顔を見せてくれるだろうか…。

イタチは、ネズミや昆虫類、ノウサギの子供などを捕えて食べる。また、水に潜って魚も捕える。水陸両用のハンターだ。泳ぎも上手く、ちょっとした急流もえっちらおっちらと泳いで渡る。水中では、岩のすき間に顔を突っ込んでひとつひとつ丁寧に魚を探している。体長30?40cm程のイタチが、20cm以上もある魚を捕まえてくることもめずらしくない。魚をくわえた口を高く上げて、川から上がって歩く様はいかにも誇らしげである。

午前中は川で魚を捕って過ごし、午後になると川に姿を見せなくなることが多かった。午後は、ネズミなどを狙って山の中に入っているのかもしれない。

夜になると、天井裏でネズミを追いかけるイタチの足音が聞こえることがある。トットットットッとネズミの小さな足音に続いて、ドッドッドッドッとイタチの足音がネズミを追っていく。ネズミは捕まると食べられてしまうし、イタチにしても食べなければ死んでしまう。どちらも生死をかけた戦いである。

昔は、多くの家でニワトリを飼っていた。ニワトリ小屋にイタチが侵入して、ニワトリを片っ端から殺してしまったという話を時々耳にした。イタチはほんの僅かなすき間を見つけて、細長いスマートな体でいとも簡単に侵入してしまうのだ。

最近ではイタチを見かける機会が少なくなったが、それでも時には家の庭に現れて、そのしなやかで美しい姿を披露してくれる。我家のウズラ小屋にも時々現れて、中の様子を窺っている。金網にぶら下がったり小屋のまわりを回ったりしながら侵入するすき間を探している。

僕はその様子を窓越しにそっとのぞいている。ひとつひとつの動作が非常にかわいらしい。僕が見ていることに気づいても、悪びれた様子も無く、時々僕の様子を窺いながら点検を続けている。侵入経路が無いことが分かると、そそくさと次の目的地へと消えていく。

日本に生息しているイタチはニホンイタチである。しかし、近年では外来種であるチョウセンイタチが市街地を中心に住み着き、郊外へと分布を広げている。在来種のニホンイタチがチョウセンイタチに取って代わられるのではないかと心配である。

Vol.35 ニホンカモシカ

ぎこちない足取りで近づいてきた子カモシカ

朝夕はひんやりとするが、日中はすっかり暖かくなってきた。山は眩いばかりの新緑に覆われた。ちょうどこの時期が野生動物たちの子育ての最盛期だ。子供を連れたカモシカを見るようになるのもこの季節である。

先日(5月21日)、急傾斜の道なき山の中を歩いていた時、どこからかビェェェ・ビェェェという少し物悲しげなヤギに似た声がし始めた。立ち止まって声の方向を探ってみる。かなり近くから聞こえてくるが、声の主はなかなか見つからない。しばらく静かにあたりを見回していると、急斜面をヨロヨロと危なっかしそうに横切って、僕のほうへと向かってくるカモシカの子供が目に入った。

生まれてまもない様子で、へその緒もついている。脚がぐらついて、今にもひっくり返りそうである。こんな急斜面で倒れたら、そのまま谷底まで転げ落ちてしまいそうだ。
ヒヤヒヤしながらどうすることもできずに見ていると、まっすぐに僕の足元までやってきた。母親のカモシカの姿は周辺に見当たらない。子カモシカは僕をすっかり母カモシカと間違えているらしく、僕から離れようとしない。

母カモシカは僕が歩いてきたのにいち早く気づいて、そっと姿を隠したに違いない。母カモシカの大きな体では、その場に隠れて僕をやり過ごすことは到底不可能なので、小さな子カモシカだけを残して立ち去ったのだ。

子カモシカは、母親の目論みどおり静かに姿勢を低くしていれば、僕に見つかることもなかったのだ。子カモシカは、独りぼっちになった寂しさから母親を探して鳴き始め、足音がするほうへと歩いてきてしまったのだ。

僕としても、この子カモシカを元居た場所へ返してやらねばならない。僕の行く先を追いかけてくるこの子カモシカが元居た場所に居着いてくれるだろうか。試行錯誤しているうちに、子カモシカに疲れが見えてきた。少し歩いては座って休むようになった。いまがチャンスと思い、元居たと思われる小さな窪みに誘い、僕は素早くその場を離れて姿を隠した。

案の定、子カモシカはその窪みで休息を始めた。子カモシカは僕がどこへ行ってしまったのか、もう分からない様子である。僕は、しばらく子カモシカの様子を窺い、落ち着いたのを見計らって足音を忍ばせて静かにその場を去った。母カモシカは僕が去ればまもなく子供のもとへ帰ってくるだろう。

この季節、カモシカのみならず各地で様々な動物の子供が母親からはぐれているということで保護されている。子供が本当に独りぼっちになっているという確認ができない場合には、その場にそっと子供を帰しておくほうが無難である。母親は人間を怖れて、少し離れたところから様子を見ていることが多いのだ。

Vol.34 アフリカ撮影記 Ver.11

シャープな色彩に大きな角、気品のある姿がセーブルの魅力だ。

草食獣の中で、僕が特に気に入っているのがセーブルアンテロープである。

セーブルの雄は、光沢のある黒い体をしていて腹と顔にはっきりとした白い部分がある。この白と黒のコントラストが、引き締まった精悍さを醸し出している。一方雌は、雄より淡い黒?赤茶色をしていて白い部分とのコントラストが顕著ではなく、全体におとなしい雰囲気である。

雌雄ともに長く後方にカーブした角を持つが、形が少し違う。雄の角は雌より大きく、後方へのカーブがきつい。雌と子供は10〜30頭くらいの群れを作って生活するが、成熟してテリトリーを持った雄は、この群れの近くで単独生活する。

草食獣だが非常に気が強い。草食獣と言えば肉食獣に食べられる弱い動物だと考えがちであるが、そんなに単純なものでもない。武器を持たない人間には、十分対抗できると分かっているのだ。

セーブルは、撮影している僕との距離が縮まると明らかな拒絶反応を示す。背筋を伸ばしてこちらをにらみつけているが、時には前脚で地面を軽く蹴るようなしぐさをして威嚇する。「それ以上近づくと容赦はしないぞ」とでも言っているようだ。鋭くとがった頑丈な角にでも引っかけられたら大変な事になる。

しかし、これ以上セーブルが人間に近づき襲いかかることはないだろう。セーブルはその姿や毛皮の美しさから、人間に追われ続けてきた長い歴史があるのだ。

岩山の上でブラックイーグルを撮影をしている時に、遠くの平原にセーブルを見かけることが時々ある。気品のある姿に吸い寄せられるように見ていると、1頭だけかと思った草原からまた1頭、もう1頭と立ち上がり、母子7、8頭が姿を現した。草地に座って休息していたようだ。

頭胴長が2mもある大型のセーブルといえども、約1kmも離れた草原の中に座っているのを発見するのは困難である。セーブルが立ち上がってやっとその存在に気づいたのだ。朝の食事を終えて、ゆったりとくつろいでいたのだろう。ゆっくりと歩いて林の中へと消えて行った。

このあたりにはライオンはいない。レパード(ヒョウ)かチーターがセーブルにとって唯一の天敵なのだ。大人のセーブルであれば襲われることはめったにないが、子供は手ごろな獲物として狙われる。

レパードは、夜間に活動することが多く、昼間は樹上や岩陰などの涼しいところで休息しているのでなかなか見ることができないが、多くの目撃情報があるのでこの一帯にも少なからず生息していることは間違いない。チーターに関しては、ほとんど目撃情報がなく、個体数が極端に減少してしまったようだが、時折農場に現れて家畜を襲っていることが新聞などで報道されている。

大型肉食獣が少ないこの山地帯は、草食獣が少しゆったりと生活しているのかもしれない。しかし、この地にも密猟者が入ってくることがある。時々やって来る密猟者のほうが肉食獣よりもセーブルにとっての脅威であるのかもしれない。

様々な危険にさらされながら生き抜く野生の姿は美しい。セーブルの堂々とした姿はいつ見ても格好いい。

Vol.33 アフリカ撮影記 Ver.10

夕陽を浴びてくつろぐバブーン

ワートッグの他にも、キャンプ場に現れて人間の食糧を狙っているものがいる。バブーンだ。

体の大きさは小柄な男性くらいもあって力強そうである。数十頭の群れで行動していて、仲間同士のコミュニケーションのためか、時々ワァッウ、ワァッウと遠くまで聞こえる大きな声で吠えている。

人間の大声大会なら軽く優勝していまいそうな大声だが、声が嗄れることなく普通に吠え続けているのだからすごい。近くでこの声を聞かされるとたまったものではないが、遠くで聞こえるバブーンの声は、岩と灌木が続く風景に映えてアフリカらしい独特の良い雰囲気がある。

キャンプ場での朝、心地よい冷気に当たりながら外のテーブルで食事の準備をしていると、我々がテーブルから離れた隙にバブーンが来ていた。妻がテーブルのところへ戻った時、バブーンはちょうどテーブルの上の食物に手を出そうとしているところだった。一瞬、バブーンは驚いてひるんだが、すぐに態勢を立て直してテーブルから離れようとしない。妻の大声を聞いて僕が出て行くと、バブーンはすぐに逃げていった。

キャンプ場に出没するバブーンは、女性や子供、小柄な男性ならば慌てて逃げることはないが、僕が出て行くと追い払うまでもなく慌てて逃げていってしまうのだ。僕は、自分の気迫でバブーンが逃げていくものと思い、すっかり気を良くしていた。

ある朝、レンジャーが銃を担いでキャンプ場の見回りにやってきた。するといつものように近くをうろついていたバブーンが、まだ遠くにいるレンジャーの姿を目ざとく見つけて、すばやく逃げ去ってしまった。バブーンはレンジャーを非常に恐れているようだ。レンジャーは、ごみ箱をあさったり、人の食べ物を盗むバブーンやワートッグなどの野生動物を銃で威嚇する。バブーンは、逃げ遅れると銃で狙われることになるのをよく心得ていて、レンジャーの姿を見ると慌てて逃げだすのである。

バブーンが僕を見て一目散に逃げる謎が解けた。レンジャーのユニフォームは、モスグリーンのズボンに同色の襟つきシャツである。僕の服装も同じくモスグリーンのズボンに同色の襟つきシャツで、レンジャーと同じだったのだ。おまけに撮影機材の重量を考えて着替えなどの荷物は最小限にしていたので、ほとんど着替えることなく毎日同じ服装であった。遠目に見ると銃を肩から提げていないことを除けば、レンジャーそっくりだ。

僕は自分自身の気迫でバブーンを追い払っていると思っていただけに、少しがっかりさせられたが、僕が行くとバブーンを素早く追い払えることには違いがない。朝食の時に、テーブルの近くに僕がいるだけでバブーンは近寄ってこなかった。

近年、日本各地で起こっているニホンザルの農作物被害は、バブーンの行動と同じである。女性やお年寄りが畑にいても、サルはすぐ近くで農作物を食べているといった光景が増えている。これがエスカレートすると、人を怖れなくなったサルが、人家に侵入したり人に危害を加えるなどの重大な被害につながることもある。

野生動物は、利用できるものは何でも利用してしたたかに生きている。楽においしいものが食べられればそこにやってくる。集落や田畑で農作物に依存して暮らす動物たちの存在が、社会問題にまで発展している。

野生動物と人の間には、ある程度の棲み分けが必要だ。共にうまく生きていくために。

Vol.32 アフリカ撮影記 Ver.9

安田さんの空手チョップの後、跳んで逃げるワートッグ(Warthog)。

国立公園内を車で走ると一番よく出会う動物がワートッグ(日本名イボイノシシ)だった。

キャンプ場ではいつもまわりに何頭かが歩きまわっていた。草をさかんに食べているが、時々こちらに近づいて来るので、追い払わなければ食料を取られてしまいそうである。

ある時、同行していた友人が歩いているとワートッグが追いかけてくるので、慌てて車に戻ろうとした時に尻のあたりに噛みつかれた。ズボンの上から噛まれたが、ズボンが破れる事もなく、うっすらと血がにじむ程度で大した怪我はなかった。

その時友人は、リンゴを食べながら歩いていたらしい。ワートッグはそのリンゴを目当てに追いかけて来たのだった。動物は相手が背中を見せて逃げると、自分のほうが優位であると認識する。ワートッグは逃げる相手を見て強気になって追いかけて来たのだ。噛みついたのは人間を襲うためではなく、引き止めるためだったのだろう。

いずれにしても気を抜く事ができない相手である。

数年後、再度このキャンプ場を訪れた時、例によってすぐにワートッグが近づいて来た。追い払おうとしてもこちらの攻撃を直前でかわして逃げていき、しばらくするとまた近づいてくる。

同行していたワシ仲間の大先輩、年齢も大先輩である安田亘之さんがワートッグに一撃をくらわす事になった。安田さんの空手は相当な腕前である。野球のバットを足のすねで蹴って折ったり、瓦を何枚も重ねて割ったりとすごいパワーを秘めている。バット折りでは何十年か昔、テレビ出演もされている。

何も知らずに近づいて来るワートッグ。いつものようにかわす事ができるだろうか。安田さんは近づいて来るワートッグをじっと動かずに待っている。ワートッグの鼻先が安田さんに触れんばかりまで来た時、電光石火のごとく安田さんの空手チョップが見事にワートッグの眉間を一撃した。

鮮やかな早業だった。軽い一撃のように見えたが、ワートッグは相当にこたえた様子である。一目散に逃げて行った。その後は少し離れたところで草を食べているだけで、こちらに近づいてくる事はなかった。これで少しは人間を恐れてくれればいいのだが。

すべてのワートッグが人間に近づいてくる訳ではない。人馴れして悪さをするのは、人間が食事をするキャンプ場などで生活するワートッグだけである。食べ物ほしさにだんだんと大胆になってきているのだ。

野生動物が近くに来るとかわいいのでついつい餌をやってしまいがちになる。人間と餌とが結びついてしまうと、餌をもらうために追いかけて来たり、噛みついたりという事態にまで発展する。ワートッグは鋭い牙を持っていて一歩間違うと非常に危険だ。

野生動物はペットなどの飼育動物と違い、人間とは一線を画して付きあっていくべきものである。つかず離れず、ともに暮らしていく事が共生への道ではないだろうか。

Vol.31 アフリカ撮影記 Ver.8

草原で採食するシロサイ。普段はおとなしく人を襲うことはほとんどない。

シロサイは丸々とした巨体を持ちながら、いかにも軽そうに駆け足で走る。

体を上下左右にはほとんど動かさずに、猛然と突き進んでくる走りのせいで軽やかに見える。がっしりとした4本の足で2トンもある体を支えている。上下左右に揺れると足にかかる荷重は相当なものになってしまい、支えきれなくなるだろう。この巨大な体をうまく操り、時速40kmものスピードで走ることができる。体当たりでもされたら何メートルも吹っ飛んでしまいそうだ。

シロサイはおとなしそうに見えるが、近づきすぎると非常に危険である。撮影中にサイが向かってきたら、近くにある木に登って逃げようと目論んでいたので、僕は常にまわりの木をチェックしていた。シロサイに本気で体当たりされたら折れてしまうくらいの細い木が多かったが、他に逃げ込むところも無いので細くても木に頼るしかないのだ。

シロサイは幅広く平らな口をしていて、地上に生えている草を効率良く食べられるようになっている。特に人間を恐れている様子も無く、僕の存在など気にもかけていないかのようにゆったりと草を食べている。しかし、気に障るようなことをして怒らせては大変だ。

撮影する時も急激な動きはせずにゆっくりと行動する。それでも時々、シロサイは食べるのをやめて、顔を上げてこちらの様子をうかがっている。近づいてくる人間にシロサイも緊張しているが、それ以上に僕も緊張させられる瞬間である。

シロサイが次にどういう行動に出るか、見極めなければならない。こちらに向かって来るならば、僕は目標の木までシロサイよりも先にたどり着かなければならないのだ。

シロサイが再度草を食べ始めると僕の緊張も少しは和らぐ。この繰り返しがしばらく続くとシロサイの緊張もだんだんほぐれて、僕の行動をうかがうこともほとんど無くなってくる。僕が危害を加えないことを認識してくれたのだ。

近くから見るとあらためてシロサイの巨大さが実感できた。肩の高さは僕の背丈もあり、張り裂けんばかりの胴体の太さや角の大きさなど、とても素手では太刀打ちできない。

シロサイは、密猟によって非常に数が減っている。角が漢方薬や短剣の柄として高く取引されている。保護区内であっても密猟が後を絶たず、ほとんどいなくなってしまったところもある。ジンバブエでは、密猟の取り締まりを強化するとともに、シロサイが増えつつある地域からシロサイを運んで来て再導入を実施している。密猟さえ防ぐことができればシロサイが生きていく環境は整っている。うまくこの地に根付いていってほしいものだ。

シマウマやインパラの群れがいる草原に1頭のシロサイが現れると、僕の目はシロサイに釘付けになってしまう。シロサイには強烈な存在感がある。