Vol.27 アフリカ撮影記 Ver.4

快晴の大空を飛翔するブラックイーグル

漆黒の全身に、背中から腰にかけてX字に交差する純白の羽毛の帯。くっきりとしたコントラストが青空に映える。ブラックイーグルが美しく大空を舞う。

僕が日本で追い続けている華麗なる飛行家イヌワシは非常に魅力的なワシであるが、ブラックイーグルもまたすばらしい飛行技術の持ち主である。飛行する姿が世界で最も美しい鳥と研究者に言わせたブラックイーグルは、空中の一点に停止する停空飛翔や波状飛行はもちろんのこと、宙返りもするというから一度この目でじっくりと見たいものだ。僕がイヌワシの次に撮影したいとあこがれ続けていたのがブラックイーグルなのだ。

キャンピングカーで生活しながらブラックイーグルを探し、自分の目でその行動を観察して撮影に挑む。ブラックイーグルはどんなふうに生活しているのだろうか。出会いが楽しみだ。

ブラックイーグルはごつごつと岩肌がむき出しになった丘のような岩山で暮らしていた。彼らを探すのはそれほど難しいことではなかった。日本でイヌワシを始めとした猛禽類を長年観察して身に付いた勘に狂いはなかった。1週間の滞在で20ペアの営巣地を発見し、彼らの行動をじっくりと観察することができた。

僕が訪れた8月末から9月の初めは、育雛期であった。ペアによってヒナの生長段階には1ヶ月以上の差があった。早く生まれたヒナは、茶色い風切羽などの羽毛が生えそろいほとんど一人前のように見える。遅いものでは、まだ羽毛が生えずに全身が白い綿毛で覆われている。日本のようにはっきりとした四季のないジンバブエでは、ペアごとに繁殖時期が大きくずれている。日本のイヌワシでは、同一地域であればほぼ1週間以内のずれである。日本では、野生動物たちは季節の変化に合わせて正確に行動しているのだとあらためて納得する。

ジンバブエでは四季の変化よりも、乾期と雨期という2つの季節の影響を大きく受けている。ブラックイーグルの産卵から育雛は乾期に行われる。毎日が雲ひとつ無い快晴である。今は冬期でなので気温は少し低めである。特に朝は10度以下にまで冷え込むために防寒服が必要だ。しかし、日中は30度近くまで気温が上がり汗ばむ陽気になる。それでも乾燥しているためにさらりとして過ごしやすい。

ブラックイーグルはいつもペアで現れた。付かず離れず飛行し、同じ岩や木に止まる。彼らは、僕が今までに見たどの猛禽よりもペアで行動することが多かった。ペア行動の多さは、彼らが生きていく上で最も重要である獲物の確保、すなわち狩りの成功率を高めることに役立っていると推測されるが、確固たる証拠は今のところ得られていない。

ブラックイーグルの獲物のほとんどが岩山に住むハイラックスである。危険が迫ると近くの岩穴に素早く逃げ込むハイラックスとブラックイーグルペアの攻防が毎日繰り返される。

Vol.26 アフリカ撮影記 Ver.3

巨大な翼を広げて悠々と飛翔する

ヨハネスブルグを出発して3日目にしてようやく国境に到着した。

出入国事務所の駐車場へ入ったところで、2、3人が我々の車の前に来て、駐車場の端の大型トラックの後ろに並ぶように先導した。順番待ちと思い、手渡された出国手続き用紙(本物)に何の疑いもなく記入した。この用紙と入国査証代金をUS$100の紙幣でその男に支払った。3人で90ドルなので10ドルの返金があるはずだが、受け取った男の方を振り返ると徐々に我々から遠ざかっている。

その時になってだまされたことに気がついた。車から飛びだして追いかけたが、相手は長い足で素早く走って事務所の建物に入っていった。続いて僕も飛び込んだが、逃げた男は見当たらない。100ドルは取られてしまったが、お金だけですんだのは運が良かったと思ってあきらめることにした。

その後も、こそ泥的なものには何回も遭遇したが、この時の教訓が生かされて大事に至るようなことはなかった。この地では、こそ泥的な犯罪は日常茶飯であり、だまされるほうが悪いのだ。

初めて訪れた南部アフリカは、話に聞いていたとおり赤茶けた大地だった。それでも樹木は思っていたより繁っている。とは言っても、日本のような立派な森林ではない。灌木あるいは疎林といったところである。林床の植物は少なく赤茶けた土が露出している。

ジンバブエまでの道中に、道路脇の木や上空に数十羽のケープバルチャー(ハゲワシの一種)が集まっているところがあった。近くに動物の死体があるに違いない。まわりを見渡すとバルチャーが舞い降りていく場所に牛の死体があった。

広大なエリアを飛び回って死体を探すバルチャーは、相当な視力の持ち主である。獲物を発見した仲間を見つけて、周辺から次々と集まってくる。はるか遠くを飛翔する仲間の姿を見つけて、飛び方などからそこに獲物があるかどうかまで見分けているのだ。

巣から100km以上も離れた遠くまで獲物を探しに出かけることがあるらしい。すごい飛翔力である。高空を滑翔していく姿を見かけるのは、獲物を探して長距離移動中なのかもしれない。普段から長距離移動をする鳥であるだけに、帆翔や滑翔をする姿は悠々として様になっている。

次々と死体の近くへ舞い降り、ゆっさゆっさと体を揺さぶりながら駆け寄って、押し合い圧し合い死体をむさぼっている。

腹いっぱい食べて重くなった体で、少し助走をつけてなんとか飛び立っていく。素嚢に肉を詰め込んで、ヒナの待つ巣へ向かう。ため込んだ肉片を巣の上で吐き戻してヒナに与えるのだ。

近年では、野生動物の死体が少なくなったことや家畜の死体を放置しなくなったことによりバルチャーの数が減りつつあるようだ。南アフリカでは、生息数が減少しているバルチャーの保護活動が各地で行われている。

アフリカでは、野生動物の主な生息地は国立公園や私設の動物保護区に限られている。この中は厳重に管理され護られている。しかし、一歩外へ出た私有地では、家畜や農作物が獣にやられないように囲いを造って進入を阻み、これまた厳重に守られている。アフリカでは、野生動物と人間の生活圏を分けることで、広い意味での共存が実現している。

日本では国立公園は厳重に守られているとは言い難いが、現在まで野生動物と人間が同じ地域でなんとか共存してきた。これは先進国としては、極めて希有な状況である。このままの共存関係を守り続けられれば、世界に誇れるすばらしいことである。

Vol.25 アフリカ撮影記 Ver.2

ブッシュの陰からこちらの様子をうかがう2頭のキリン

飛行機は予定通り早朝6:30分にヨハネスブルグに到着した。撮影機材が無事に到着しているかどうか気掛かりだ。

荷物が出てくるターンテーブルの前で待つが、我々の荷物は出てこない。やはり荷物は来なかったのかと不安になり始めた時、ターンテーブルから少し離れた床の上にたくさんの荷物が置いてあるのに気がついた。荷物の山の中から次々と我々の荷物が発見された。荷物だけが早い便で到着して、ここに置かれていたようである。とにかく全部の荷物がそろった。

キャンピングカーを借りて、陸路でジンバブエに向かった。今日中にはジンバブエの国立公園までたどり着き、そこでキャンプの予定である。南アフリカは通過だけなので現金を使うこともないと思い、両替をせずに走り出した。出発前に問い合わせたツアー会社の担当から、クレジットカードがほとんどのところで使えることを聞いていた。

レンタカー会社でもらった地図だけを頼りに、目的地まで行けるのかどうかかなりの不安がある。なんせ道路地図とはいえ、日本で見るような詳細な地図ではないのだ。道路地図の1ページに日本全土が入るくらいの縮尺の地図である。

案ずるより産むが易しで、走り出してみると意外となんとかこの地図で走っていけるものである。縮尺が大きいので、相当走ったと思って地図を見ても地図上ではほんのわずかしか移動していないのだ。ジンバブエとの国境までは予想以上に時間がかかりそうだ。

しばらく走ると前方に料金所が見えてきた。両替しなかったために南アフリカの通貨(ランド)がない。以前に南アフリカに来たことがあるスタッフの一人が、残った小銭を持っていたのでそれでなんとか切り抜けた。ほっと安心したのもつかの間、また料金所がやって来た。南アフリカの通貨はさっきの料金所で使い果たしてしまった。クレジットカードも使用できないと言う。

どこかの街まで引き返して両替をするかどうか検討することにした。しかし、悩んだ末にVISAカードが使えないはずはないだろうという結論に達した。もう一度、今度は違うレーンで挑戦してみることにした。使用できるかどうか分からないが、とにかくカードを機械に通して試してくれた。不思議なことに今度は使用できた。

夕日が山に沈もうとしているというのに国境まではまだ遠い。道路脇でキャンプするのは非常に危険である。どこでキャンプしていいのかも分からないまま、あたりは暗くなり始めた。100kmほど走ったところにベンレーベンという私設の動物保護区があるのを地図で見つけた。ここなら安全にキャンプができるかもしれない。

日はとっぷりと暮れて、ようやくベンレーベン動物保護区の入り口に到着した。入場料の支払いにクレジットカードが使用できるように祈るしかない。カードOKと聞いてほっと胸をなで下ろした。

翌朝、水場にはたくさんの小鳥たちがにぎやかに囀りながらやって来た。僕はこののどかな動物保護区を散策してみたくなった。動物を探しながらゆっくりと車を走らせる。ベルベットモンキー・マングース・インパラ・クドゥなど、じっくりと見ることができた。2頭のキリンは近くの潅木地帯から我々の様子をうかがっている。徐々に細い木の後ろに入り、丸見えだが隠れているつもりらしい。

ベンレーベンを出発したのは午後になっていた。町へ寄って少し食料を買う。両替のために銀行を捜すが土曜日なので閉まっている。今日も国境の直前で日が暮れた。キャラバンパークを見つけてキャンプとなった。簡単な食事を取り、早めに眠った。

翌朝は、まわりを歩き回るホロホロチョウを見ながら朝食を取り、すぐに出発した。1日の予定であった国境越えに3日を要した。いよいよジンバブエ入りだ。

Vol.24 アフリカ撮影記 Ver.1

ヨハネスブルグからはキャンピングカーの旅が始まる

ジンバブエは今朝も快晴だ。体が引き締まる冷気があたり一面に漂っている。ここは標高1,300mの高原であるため、冬季の朝夕には気温が10度以下にまで下がるのだ。

ジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北側に隣接する。四季はあるが日本のようにはっきりしたものではない。6〜9月まではほとんど雨は降らないが、10〜5月まではスコールのような雨が降ることが多い。

天気図とにらめっこしながら撮影予定を立てる日本とは違い、乾期のジンバブエでは、雨や雪で撮影が進まないという悩みはまったくない。あとは動物の動きを予測して撮影に集中するだけである。

初めてのジンバブエ入りは前途多難をうかがわせるものであった。関西空港から飛び立った飛行機は香港、南アフリカのヨハネスブルグへと乗り継ぐ予定であった。しかし、飛行機は香港の手前で急きょ方向を変え、フィリピンのマニラ空港へと向かったのだ。香港空港で飛行機の横転事故があり、空港が閉鎖されてしまったらしい。マニラ空港は非難してきた飛行機と旅行者でごった返していた。

夜も更けてようやく航空会社が用意したホテルへの送迎の順番が回ってきた。我々を乗せたタクシーは、信号で並んだ隣の車とカーチェイスをしながら、ホテルへ向かってぶっ飛んでいった。最後の方に割り当てられたホテルは、かなりランクの落ちるものだった。長い間使用されていなかったシャワーからは、しばらくの間赤さび色の水が流れた。とにかく今夜はゆっくりと眠って、香港空港の一刻も早い再開を待つだけだ。

翌日の夕方、ようやく香港へ向かって飛行機が出発した。香港空港では、再開とともにあちらこちらの空港で待機していた飛行機が一斉に到着した。空港内ではマニラどころではない混雑が待っていた。乗り継ぎカウンターは人、人、人である。カウンターははるか遠く、いつになったら到達するのか見当もつかないが、ヨハネスブルグ行きは23:50分発なのでまだ十分時間がある。

何時間経ってもまったく前に進まない。カウンターの前にいる人も入れ替わっていないのだ。係員が行き先の地名を大声で叫ぶと、その便に乗りたい人のパスポートが後ろの方から次々と手渡されてカウンターまで運ばれていった。歩いて行きたくてもぎゅうぎゅう詰めで身動きも取れないのだ。しばらくすると前の方からパスポートが手渡しで後ろの方へ戻っていった。他人事ながら、パスポートが戻っていったのを見てほっと安心した。パニック状態の中、よくぞ同じ方向にパスポートが返ってきたものだ。こんなことを繰り返しながらも、人はまったく減ってはいない。カウンター内がもう機能していないのだ。

ようやく進展がみられたのは、すでにヨハネスブルグ行きの便が出発してしまってからであった。夜中を過ぎてようやく、カウンターにたどり着き交渉が始まった。しかし、今日(すでに0時を過ぎているので翌日ではない)はヨハネスブルグ行きの便がなかった。何を言ってももうどうすることもできない。翌日の便を予約してホテルにチェックインしたのは、朝の5時を過ぎていた。預けた荷物は今ごろどこへ行っているのかも分からず、着替えも何もないままの香港滞在となってしまった。

予定より3日遅れてヨハネスブルグへ向かって出発した。ヨハネスブルグからは、キャンピングカーを借りてジンバブエまで陸路による国境越えの予定だ。撮影機材や着替えなどすべての荷物は無事にヨハネスブルグへ到着するのだろうか。不安は残るが、とりあえずジンバブエへの旅が再開した。