Vol.51 ツキノワグマ:目覚め



細い枝先で新芽をむさぼる母子グマ。子グマを抱えるように樹の上で眠り目覚める。

新緑のまばゆさが少し色あせ、里では徐々に濃い緑へと変わりつつある。しかし、高い山はまだ春である。

樹々が少しづつ芽吹き始めて、黄緑色の新緑が点々と広がる頃、冬眠から目覚めたツキノワグマが新芽を食べに樹に登る。こんな姿がよく見られるのは、4〜5月ごろである。林床を歩くクマは、樹木の陰になってなかなか見つけにくいものだが、葉が繁っていない樹にクマがいると、以外に遠くからでも発見できるものだ。

4月中旬、山の中腹の樹上に黒い塊を見つけた。双眼鏡で確認すると、予想通りクマである。人間にはとても登れそうもない細い枝先で、芽吹き始めたばかりの葉をムシャムシャと食べている。クマが動くと枝は大きく揺れている。今にも枝が折れてしまいそうである。クマはそんなことなどまったく気にしていない。近くに2頭の子グマがやって来て一緒に新芽を食べている。人間なら樹にしがみついているのが精いっぱいで、そこで食事をするなどあり得ないことだ。

2年目と推測される子グマたちも、母グマに負けないくらい上手く樹上で行動できる。樹の揺れに逆らうことなく樹の動きと一体化している。母グマが食べることに集中しているのに対して、子グマたちは樹の上をうろうろと歩き回って、遊びたくて仕方がない様子である。食べることにはなかなか集中できないようなのだ。

数日後、母子グマがいたところから200mほど離れた枯木に、1頭のクマが登って眠っていた。横に伸びた2本の枝に体をあずけて眠り続けている。こんな不安定なところで落ちないのが不思議である。熟睡するとバランスを崩して落ちてしまいそうだ。クマは浅い眠りでバランスをとりながら寝ているのかもしれない。その証拠に、時々頭と前脚を少し動かしている。
しかし、なぜこんな危険なところで眠るのだろうか。地上付近には、ダニやヒルがいるのでそれを避けるためかもしれない。クマ自身は樹の上が危険で居心地が悪いというふうには、まったく思っていないのだろう。

2時間が経った頃、クマは目覚めて立ち上がった。するとそのクマの胸元から1頭の子グマが姿を現した。1頭と思っていたクマは、子グマを抱えるようにして寝ていたのだった。

母グマは、伸びとあくびをしたあと、子グマを先導するようにゆっくりと木を降り始めた。所々で何度も立ち止まって子グマに手を差し伸べるような仕草をしている。母グマは、子グマがかわいくて仕方がないようだ。頭を上にして、後脚で慎重に探りながら降りていく子グマの姿に、僕も思わず「かわいいなあー」とつぶやいている。母子グマは地上に降りて、林の中へと姿を消した。

クマたちの樹上での行動を見ていると、樹の上が非常に心地良さそうに思えてくるのだった。

Vol.49 ツキノワグマ:人里への出没2006年



時々クーマと啼きながらギンナンを食べる母子グマ

昨年の秋は、全国各地でツキノワグマが人家付近に大出没した。有害獣として捕獲された数は4,500頭を超え、その9割が殺された。

大型獣であるツキノワグマは生息数が少ない上に、2〜3年に1回、2頭くらいの子供を産む程度のゆっくりとした繁殖である。1年という短期間に4,500頭近い大量捕殺は、クマの個体群に大打撃を与えてしまったのではないだろうか。

クマの生息地が分断され、生息数が減少しているために多くの地域で狩猟禁止や自粛が実施されているというのに、有害獣駆除による大量捕殺はほんとうにクマを絶滅させてしまう危険性がある。昨年の有害の捕殺数は、狩猟の捕獲数とは比べものにならないほど多い。

有害獣駆除はほとんどの場合檻を使う。クマの大好物で誘引して捕獲するこの方法は、被害を起こしているクマ起こしていないクマにかかわらず、まわりにいるすべてのクマを無差別に捕獲してしまう可能性が高い。このように好物によって誘い出すような無差別的な捕獲が大量捕殺へと繋がっている可能性も否定できない。有害獣駆除の際の檻の使用には、このような危険性があることを十分に認識して、長期間の檻設置を避け、被害を起こしているクマとそうでないクマの識別をして対処しなければいけない。そうでなければ有害獣駆除とは言えない。

また、一律に狩猟禁止にするのではなく、地域によっては個体数コントロールの役割を担う適正な狩猟を取り入れ、一時期に大量捕殺されるようなことがないように早急に対策が必要である。

クマが棲んでいるはずもない街の中にまでクマが現れて大騒ぎになっていた。しかし、山間部の集落では毎晩普通に目撃されている。

我家のまわりでも母子グマと単独のクマが出没していた。10月の中旬頃、人家の庭にある柿の木に登って柿を食べる。11月に入って柿を食べ終えると、今度は神社などにあるイチョウの木のまわりに現れ、ギンナンを食べ始めた。ここには毎夜母子グマと単独グマが現れた。母グマと単独グマは、お互いにけん制し合っているようだった。少し距離をあけてお互いに緊張している。時折林の向こうで追いかけ合っているガサガサという音が聞こえてくることもあった。

イチョウの木の下には、ギンナンを集めやすいようにブルーシートが敷き詰められている。クマたちは、木に登ってギンナンを食べたりこのブルーシートの上に落ちているのを拾ったりしている。母子グマはどちらからともなく啼き合っている。クマの語源がその啼き声からだとする説があるが、まさしくクーマ、クーマと啼いている。

イチョウの木の下に残された糞には、ギンナンがほぼそのまま出てきているのが多くあった。この糞を見ていると何のためにギンナンを食べているのかと首をかしげたくなってしまう。

人とクマが共存していくためには、ある程度の距離が必要である。人とクマは同じ場所で手と手を取り合って暮らすことは出来ない。農作物被害や人身被害が日常的に起こり、有害獣として駆除されてしまうだろう。

そのためにもクマとは少し距離を置き、我々人間は強くて恐ろしいものだということをクマに示しておかなければならないだろう。そして、集落の外や奥山には、クマがある程度自由に暮らせる食物豊かな落葉広葉樹の林を残していく必要がある。

Vol.38 ツキノワグマ:人里への出没

夜のとばりが下りる頃、集落近くに現れたツキノワグマ。

落葉広葉樹林が広がる自然豊かな森にはツキノワグマが暮らしている。生息数が少なく姿を見ることは非常に難しい動物である。

しかし、近年では人里へ現れるクマが全国各地で目撃されるようになった。特に昨年の秋には、異常出没と言われるほどに人里に姿を現した。人とクマとの接点が増えると、クマによる人身被害が起こりやすくなるため、このようなクマは捕獲されてすぐに射殺されるか、生け捕りにされて懲らしめたあと他の場所に放獣(学習放獣)されるかのどちらかになることが多い。クマが人里に姿を現すことは、人間にとって脅威であると同時に、クマにとっても命がけの行為なのだ。

昨年の異常出没の時には、クマの大半は捕殺されてしまった。しかし、クマはもともと生息数が少ないので、短期間に大量捕殺することは避けるべきである。一気に個体数が減少し、小規模な個体群では絶滅してしまう可能性も十分考えられる。

「人間のいるところに行くと恐ろしいぞ」と言うことを常にクマに示しておくことも必要である。学習放獣や威嚇射撃での追い払い、時には適正な個体数コントロールの範囲内での捕殺も必要となる場面もあるだろう。

人里への出没の危険性は、クマ自身も十分に認識していることは間違いない。人間に見つかりやすい昼間に現れることはほとんどなく、日没後あたりが闇に包まれる頃になって集落に姿を現す。

庭にある柿の木に登って柿を食べたり、近くの栗の木で栗を食べたりと、出没の目的はほとんどが食物である。ツキノワグマの食性は、そのほとんどが植物質であり、人間を襲って食べるようなことはない。クマも人間もお互いが出会いを恐れている。突然の出会いに逃げ場を失ったクマが、自身や子供を守るために人間に襲いかかってしまうのだ。

人気のない山の中ではクマはどのような行動をしているだろうか。クマは昼間から堂々と活動している。春先には、ブナの木に登り新芽をさかんに食べている姿をよく見かける。そんな時、僕はクマへの接近を試みる。抜き足差し足、足音を忍ばせて近づき、いよいよとなると匍匐前進だ。クマのほうは、ムシャムシャと貪欲に新芽をむさぼっている。

僕はすぐ近くからじっくりとクマの様子を観察した。クマは、こんな山の中に人間がいることなど考えてもいない様子で、僕が少しくらい音を立ててもまったく気にしていない。

いよいよクマが人間の気配を感じたのは、臭いからだった。クマは突然鼻先を上げて臭いを嗅ぎ始めた。すぐにクマは少し慌てて、しかし貫録は保ちながら不器用そうにお尻から木を降り始めた。地上に降り立つと、僕とは反対側の谷へ向かって一目散に逃げていった。

クマが命の危険を冒してまで人里へ出没して食物をあさるのには、それなりの理由があるはずだ。命の危険を顧みないほどに空腹であるのか、それとも人里にある柿や栗などの味覚に引き寄せられてのことなのか。

いずれにしてもムダな衝突を避け、共に暮らしていきたいものだ。

Vol.22 ツキノワグマ:森の愛嬌者

立木に寄り掛かって一休み

雪解けの頃から木々が芽吹いて葉に覆われるまでの間が、1年のうちで最もツキノワグマを観察しやすい時期である。

早春の林床は見通しがよく、遠くからでもクマの行動が観察できる絶好の季節だ。冬眠から目覚めたばかりのクマが残雪の上を歩き、若葉が伸びはじめた草原で柔らかい草を食べ、木に登って新芽をむさぼる。

早春のある日、イヌワシの撮影のために沢沿いを歩いていた僕は、対岸にあるタムシバの木にクマが登っているのを発見した。クマとの距離は100mくらいであるが、クマは僕には全く気づいていない。丸々と太った大きなクマだ。しばらく行動を観察する。直径5cmほどもある枝にかみついて、ねじるようにして一気に折り取る。普通の人間では及びもつかない怪力だ。クマは枝に付いた花を盛んに食べている。30分ばかり食べ続けたあと、頭を上に向けてお尻からモゾモゾと不器用そうに幹を降り始めた。木登りは得意で細い枝先まで器用に登っていくが、降りるのだけはどうも苦手なようである。降りる姿を見ていると、木の下に行ってお尻をつついてみたくなってくる。そのくらい愛嬌たっぷりなパフォーマンスだ。

さらにクマは憎めない。降りる途中の枝が混みあったところで一休み、昼寝を始めたのだった。近づいて撮影したいところだが、昼寝の邪魔をせず今日のところは目的のイヌワシの撮影に向かうことにした。

翌日、昨日のクマを待ち伏せする。昨日登っていたタムシバには、もちろんもうクマの姿はない。近辺のクマが出てきそうな林の中で、息を潜めて待つこと4時間半。斜面の下の方からガサガサと音が聞こえてきた。音はだんだんと近づいてくる。

僕の目の前10mの薮から姿を現したのは、期待どおりツキノワグマだった。クマがそのまま前進すれば僕に突き当たってしまう。カメラを静かにクマの方へ向けながらも、クマとの間合いをはかる。これ以上近づくのはお互いに危険である。

一瞬緊張が走ったのを知ってか知らずかクマが方向を少し変えた。僕の目の前をクマがゆっくりと歩いていく。黒い毛皮がたゆんたゆんと揺れている。クマは、僕がいることに気づいてはいないが、時々立ち止まって後ろを振り返る。何となく気配を感じているのかもしれない。

クマは人間に危害を加える動物として恐れられている。クマも人間を恐れている。お互いが相手を恐れて、できるだけ接近しないように生活しているのだ。この絶妙なバランスでお互いがうまく共存してきた。しかし、近年では人里に出没するクマが目に付くようになった。

人間はクマが生活できる森を残すことを約束し、クマには人里でいたずらしないように約束を交わしたいものだ。かつては暗黙のうちにこのような「約束」ができ上がっていたのではないだろうか。