Vol.24 アフリカ撮影記 Ver.1

ヨハネスブルグからはキャンピングカーの旅が始まる

ジンバブエは今朝も快晴だ。体が引き締まる冷気があたり一面に漂っている。ここは標高1,300mの高原であるため、冬季の朝夕には気温が10度以下にまで下がるのだ。

ジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北側に隣接する。四季はあるが日本のようにはっきりしたものではない。6〜9月まではほとんど雨は降らないが、10〜5月まではスコールのような雨が降ることが多い。

天気図とにらめっこしながら撮影予定を立てる日本とは違い、乾期のジンバブエでは、雨や雪で撮影が進まないという悩みはまったくない。あとは動物の動きを予測して撮影に集中するだけである。

初めてのジンバブエ入りは前途多難をうかがわせるものであった。関西空港から飛び立った飛行機は香港、南アフリカのヨハネスブルグへと乗り継ぐ予定であった。しかし、飛行機は香港の手前で急きょ方向を変え、フィリピンのマニラ空港へと向かったのだ。香港空港で飛行機の横転事故があり、空港が閉鎖されてしまったらしい。マニラ空港は非難してきた飛行機と旅行者でごった返していた。

夜も更けてようやく航空会社が用意したホテルへの送迎の順番が回ってきた。我々を乗せたタクシーは、信号で並んだ隣の車とカーチェイスをしながら、ホテルへ向かってぶっ飛んでいった。最後の方に割り当てられたホテルは、かなりランクの落ちるものだった。長い間使用されていなかったシャワーからは、しばらくの間赤さび色の水が流れた。とにかく今夜はゆっくりと眠って、香港空港の一刻も早い再開を待つだけだ。

翌日の夕方、ようやく香港へ向かって飛行機が出発した。香港空港では、再開とともにあちらこちらの空港で待機していた飛行機が一斉に到着した。空港内ではマニラどころではない混雑が待っていた。乗り継ぎカウンターは人、人、人である。カウンターははるか遠く、いつになったら到達するのか見当もつかないが、ヨハネスブルグ行きは23:50分発なのでまだ十分時間がある。

何時間経ってもまったく前に進まない。カウンターの前にいる人も入れ替わっていないのだ。係員が行き先の地名を大声で叫ぶと、その便に乗りたい人のパスポートが後ろの方から次々と手渡されてカウンターまで運ばれていった。歩いて行きたくてもぎゅうぎゅう詰めで身動きも取れないのだ。しばらくすると前の方からパスポートが手渡しで後ろの方へ戻っていった。他人事ながら、パスポートが戻っていったのを見てほっと安心した。パニック状態の中、よくぞ同じ方向にパスポートが返ってきたものだ。こんなことを繰り返しながらも、人はまったく減ってはいない。カウンター内がもう機能していないのだ。

ようやく進展がみられたのは、すでにヨハネスブルグ行きの便が出発してしまってからであった。夜中を過ぎてようやく、カウンターにたどり着き交渉が始まった。しかし、今日(すでに0時を過ぎているので翌日ではない)はヨハネスブルグ行きの便がなかった。何を言ってももうどうすることもできない。翌日の便を予約してホテルにチェックインしたのは、朝の5時を過ぎていた。預けた荷物は今ごろどこへ行っているのかも分からず、着替えも何もないままの香港滞在となってしまった。

予定より3日遅れてヨハネスブルグへ向かって出発した。ヨハネスブルグからは、キャンピングカーを借りてジンバブエまで陸路による国境越えの予定だ。撮影機材や着替えなどすべての荷物は無事にヨハネスブルグへ到着するのだろうか。不安は残るが、とりあえずジンバブエへの旅が再開した。