ほ乳類の多くは夜行性と思われがちであるが、昼間にもけっこう活動しているものが多い。
イノシシもそのひとつである。山の中で観察していると、沢を挟んだ山の斜面にある林の中から草地へと出てきて、土を鼻先で掘り返してミミズや昆虫類・植物の根などを食べている姿を見つけることがある。イノシシと僕との距離は300メートルほどあるので、イノシシは僕に気づかずゆったりと行動している。食事をしながら少しずつ移動を繰り返し、林の中へと消えていく。
ある日のこと、落葉広葉樹の林の中で僕が休憩していると、数メートル先に6頭の親子連れのイノシシが現れた。こんな時、僕は即座にその体勢のまま動かずに立木になったつもりで観察をする。微動だにせずにじっとしていると、人間がここにいることをイノシシたちははっきりと確認できないのである。
数メートル先のイノシシ親子は、一列に並んで数歩行進しては号令をかけられたようにピタリと一斉に立ち止まる。しばらくまわりの様子をうかがった後、また数歩進んで立ち止まる。
明らかに僕の気配を感じていることは確かである。それは臭いなのかもしれないが、人間が近くにいると言う決定的な証拠とはなり得ていないのだ。では音はどうであろうか。イノシシが歩いている時に素早く一回だけ手を叩いてみた。イノシシ親子はその瞬間に立ち止まった。僕は動かない。十数秒後、イノシシ親子は歩き始めた。僕はもう一度手を叩く。イノシシは立ち止まり、しばらくして歩き出した。
僕は中腰のまま動かずにいたが、一気にガバッと大げさに立ち上がってみた。イノシシ親子はクモの子を散らすように逃げていった。
イノシシの他にも、僕の目の前を悠々と通り過ぎて行った野生動物はたくさんいる。キツネもそのひとつだ。手を伸ばせば届きそうなところを歩調も変えずに歩いていった。キツネの名誉のために言っておくと、キツネは僕にまったく気づかなかった訳ではない。僕から30メートルほど手前に来た時、キツネは僕の気配を感じて立ち止まり、臭いを嗅いでいた。まわりには動くものがなく、人間は近くにいないと判断して再び歩き出した。キツネは安心して僕の目の前を通過していったのだ。
しばらくしてそのキツネが戻ってきた。40メートルほど手前で今度はそっとカメラのシャッターを押した。カシャッと言う小さな金属音がした途端に、キツネはバネがはじけるように方向を変えて逃げていった。タヌキやアナグマも目の前を通過していった。
しかし、僕が動かずにいても通用しない動物もいる。ツキノワグマは僕から10メートルほどのところまで来て、突然鼻を高く上げて臭いを嗅ぐと向きを変えて去っていった。ツキノワグマが逃げていくのはいつも鼻を上げて臭いを嗅いだ時であった。
夜に出会ったイノシシは、ライトを照らして撮影している僕をまったく気にすることなく、目の前で地面を掘り返して食事を続けた。夜は人間の活動する時間帯ではないと高を括って、人間に対する警戒心が散漫になっているのだろうか。昼間の神経質さからは想像もできない大胆さである。