Vol.37 イノシシ

闇の中から大きなイノシシが現れた

ほ乳類の多くは夜行性と思われがちであるが、昼間にもけっこう活動しているものが多い。

イノシシもそのひとつである。山の中で観察していると、沢を挟んだ山の斜面にある林の中から草地へと出てきて、土を鼻先で掘り返してミミズや昆虫類・植物の根などを食べている姿を見つけることがある。イノシシと僕との距離は300メートルほどあるので、イノシシは僕に気づかずゆったりと行動している。食事をしながら少しずつ移動を繰り返し、林の中へと消えていく。

ある日のこと、落葉広葉樹の林の中で僕が休憩していると、数メートル先に6頭の親子連れのイノシシが現れた。こんな時、僕は即座にその体勢のまま動かずに立木になったつもりで観察をする。微動だにせずにじっとしていると、人間がここにいることをイノシシたちははっきりと確認できないのである。

数メートル先のイノシシ親子は、一列に並んで数歩行進しては号令をかけられたようにピタリと一斉に立ち止まる。しばらくまわりの様子をうかがった後、また数歩進んで立ち止まる。

明らかに僕の気配を感じていることは確かである。それは臭いなのかもしれないが、人間が近くにいると言う決定的な証拠とはなり得ていないのだ。では音はどうであろうか。イノシシが歩いている時に素早く一回だけ手を叩いてみた。イノシシ親子はその瞬間に立ち止まった。僕は動かない。十数秒後、イノシシ親子は歩き始めた。僕はもう一度手を叩く。イノシシは立ち止まり、しばらくして歩き出した。

僕は中腰のまま動かずにいたが、一気にガバッと大げさに立ち上がってみた。イノシシ親子はクモの子を散らすように逃げていった。

イノシシの他にも、僕の目の前を悠々と通り過ぎて行った野生動物はたくさんいる。キツネもそのひとつだ。手を伸ばせば届きそうなところを歩調も変えずに歩いていった。キツネの名誉のために言っておくと、キツネは僕にまったく気づかなかった訳ではない。僕から30メートルほど手前に来た時、キツネは僕の気配を感じて立ち止まり、臭いを嗅いでいた。まわりには動くものがなく、人間は近くにいないと判断して再び歩き出した。キツネは安心して僕の目の前を通過していったのだ。

しばらくしてそのキツネが戻ってきた。40メートルほど手前で今度はそっとカメラのシャッターを押した。カシャッと言う小さな金属音がした途端に、キツネはバネがはじけるように方向を変えて逃げていった。タヌキやアナグマも目の前を通過していった。

しかし、僕が動かずにいても通用しない動物もいる。ツキノワグマは僕から10メートルほどのところまで来て、突然鼻を高く上げて臭いを嗅ぐと向きを変えて去っていった。ツキノワグマが逃げていくのはいつも鼻を上げて臭いを嗅いだ時であった。

夜に出会ったイノシシは、ライトを照らして撮影している僕をまったく気にすることなく、目の前で地面を掘り返して食事を続けた。夜は人間の活動する時間帯ではないと高を括って、人間に対する警戒心が散漫になっているのだろうか。昼間の神経質さからは想像もできない大胆さである。

Vol.36 ニホンイタチ

ウズラ小屋に現れたニホンイタチ

子供の頃、学校の行き帰りにたびたびイタチを見かけた。

いつも敏捷な動きで、一瞬のうちに目の前を通り抜けて石垣のすき間や物陰に隠れてしまった。「イタチさん、もう一度姿を見せとくれ。」と呼びかけると、再び顔を出してくれると母から聞いていた。そのようにすると不思議に、イタチは隠れた場所から顔を出して僕のほうを振り返った。

いつの頃からか、こうした呼びかけをしなくなったが、イタチはなぜ僕の呼びかけに応じて顔をのぞかせたのか、今でも不思議である。イタチは好奇心が強いために、大きな声がすると何事かと顔をのぞかせて確認していたのかも知れない。

次回イタチに出会ったら久々に試してみよう。はたして、再度顔を見せてくれるだろうか…。

イタチは、ネズミや昆虫類、ノウサギの子供などを捕えて食べる。また、水に潜って魚も捕える。水陸両用のハンターだ。泳ぎも上手く、ちょっとした急流もえっちらおっちらと泳いで渡る。水中では、岩のすき間に顔を突っ込んでひとつひとつ丁寧に魚を探している。体長30?40cm程のイタチが、20cm以上もある魚を捕まえてくることもめずらしくない。魚をくわえた口を高く上げて、川から上がって歩く様はいかにも誇らしげである。

午前中は川で魚を捕って過ごし、午後になると川に姿を見せなくなることが多かった。午後は、ネズミなどを狙って山の中に入っているのかもしれない。

夜になると、天井裏でネズミを追いかけるイタチの足音が聞こえることがある。トットットットッとネズミの小さな足音に続いて、ドッドッドッドッとイタチの足音がネズミを追っていく。ネズミは捕まると食べられてしまうし、イタチにしても食べなければ死んでしまう。どちらも生死をかけた戦いである。

昔は、多くの家でニワトリを飼っていた。ニワトリ小屋にイタチが侵入して、ニワトリを片っ端から殺してしまったという話を時々耳にした。イタチはほんの僅かなすき間を見つけて、細長いスマートな体でいとも簡単に侵入してしまうのだ。

最近ではイタチを見かける機会が少なくなったが、それでも時には家の庭に現れて、そのしなやかで美しい姿を披露してくれる。我家のウズラ小屋にも時々現れて、中の様子を窺っている。金網にぶら下がったり小屋のまわりを回ったりしながら侵入するすき間を探している。

僕はその様子を窓越しにそっとのぞいている。ひとつひとつの動作が非常にかわいらしい。僕が見ていることに気づいても、悪びれた様子も無く、時々僕の様子を窺いながら点検を続けている。侵入経路が無いことが分かると、そそくさと次の目的地へと消えていく。

日本に生息しているイタチはニホンイタチである。しかし、近年では外来種であるチョウセンイタチが市街地を中心に住み着き、郊外へと分布を広げている。在来種のニホンイタチがチョウセンイタチに取って代わられるのではないかと心配である。

Vol.35 ニホンカモシカ

ぎこちない足取りで近づいてきた子カモシカ

朝夕はひんやりとするが、日中はすっかり暖かくなってきた。山は眩いばかりの新緑に覆われた。ちょうどこの時期が野生動物たちの子育ての最盛期だ。子供を連れたカモシカを見るようになるのもこの季節である。

先日(5月21日)、急傾斜の道なき山の中を歩いていた時、どこからかビェェェ・ビェェェという少し物悲しげなヤギに似た声がし始めた。立ち止まって声の方向を探ってみる。かなり近くから聞こえてくるが、声の主はなかなか見つからない。しばらく静かにあたりを見回していると、急斜面をヨロヨロと危なっかしそうに横切って、僕のほうへと向かってくるカモシカの子供が目に入った。

生まれてまもない様子で、へその緒もついている。脚がぐらついて、今にもひっくり返りそうである。こんな急斜面で倒れたら、そのまま谷底まで転げ落ちてしまいそうだ。
ヒヤヒヤしながらどうすることもできずに見ていると、まっすぐに僕の足元までやってきた。母親のカモシカの姿は周辺に見当たらない。子カモシカは僕をすっかり母カモシカと間違えているらしく、僕から離れようとしない。

母カモシカは僕が歩いてきたのにいち早く気づいて、そっと姿を隠したに違いない。母カモシカの大きな体では、その場に隠れて僕をやり過ごすことは到底不可能なので、小さな子カモシカだけを残して立ち去ったのだ。

子カモシカは、母親の目論みどおり静かに姿勢を低くしていれば、僕に見つかることもなかったのだ。子カモシカは、独りぼっちになった寂しさから母親を探して鳴き始め、足音がするほうへと歩いてきてしまったのだ。

僕としても、この子カモシカを元居た場所へ返してやらねばならない。僕の行く先を追いかけてくるこの子カモシカが元居た場所に居着いてくれるだろうか。試行錯誤しているうちに、子カモシカに疲れが見えてきた。少し歩いては座って休むようになった。いまがチャンスと思い、元居たと思われる小さな窪みに誘い、僕は素早くその場を離れて姿を隠した。

案の定、子カモシカはその窪みで休息を始めた。子カモシカは僕がどこへ行ってしまったのか、もう分からない様子である。僕は、しばらく子カモシカの様子を窺い、落ち着いたのを見計らって足音を忍ばせて静かにその場を去った。母カモシカは僕が去ればまもなく子供のもとへ帰ってくるだろう。

この季節、カモシカのみならず各地で様々な動物の子供が母親からはぐれているということで保護されている。子供が本当に独りぼっちになっているという確認ができない場合には、その場にそっと子供を帰しておくほうが無難である。母親は人間を怖れて、少し離れたところから様子を見ていることが多いのだ。

Vol.34 アフリカ撮影記 Ver.11

シャープな色彩に大きな角、気品のある姿がセーブルの魅力だ。

草食獣の中で、僕が特に気に入っているのがセーブルアンテロープである。

セーブルの雄は、光沢のある黒い体をしていて腹と顔にはっきりとした白い部分がある。この白と黒のコントラストが、引き締まった精悍さを醸し出している。一方雌は、雄より淡い黒?赤茶色をしていて白い部分とのコントラストが顕著ではなく、全体におとなしい雰囲気である。

雌雄ともに長く後方にカーブした角を持つが、形が少し違う。雄の角は雌より大きく、後方へのカーブがきつい。雌と子供は10〜30頭くらいの群れを作って生活するが、成熟してテリトリーを持った雄は、この群れの近くで単独生活する。

草食獣だが非常に気が強い。草食獣と言えば肉食獣に食べられる弱い動物だと考えがちであるが、そんなに単純なものでもない。武器を持たない人間には、十分対抗できると分かっているのだ。

セーブルは、撮影している僕との距離が縮まると明らかな拒絶反応を示す。背筋を伸ばしてこちらをにらみつけているが、時には前脚で地面を軽く蹴るようなしぐさをして威嚇する。「それ以上近づくと容赦はしないぞ」とでも言っているようだ。鋭くとがった頑丈な角にでも引っかけられたら大変な事になる。

しかし、これ以上セーブルが人間に近づき襲いかかることはないだろう。セーブルはその姿や毛皮の美しさから、人間に追われ続けてきた長い歴史があるのだ。

岩山の上でブラックイーグルを撮影をしている時に、遠くの平原にセーブルを見かけることが時々ある。気品のある姿に吸い寄せられるように見ていると、1頭だけかと思った草原からまた1頭、もう1頭と立ち上がり、母子7、8頭が姿を現した。草地に座って休息していたようだ。

頭胴長が2mもある大型のセーブルといえども、約1kmも離れた草原の中に座っているのを発見するのは困難である。セーブルが立ち上がってやっとその存在に気づいたのだ。朝の食事を終えて、ゆったりとくつろいでいたのだろう。ゆっくりと歩いて林の中へと消えて行った。

このあたりにはライオンはいない。レパード(ヒョウ)かチーターがセーブルにとって唯一の天敵なのだ。大人のセーブルであれば襲われることはめったにないが、子供は手ごろな獲物として狙われる。

レパードは、夜間に活動することが多く、昼間は樹上や岩陰などの涼しいところで休息しているのでなかなか見ることができないが、多くの目撃情報があるのでこの一帯にも少なからず生息していることは間違いない。チーターに関しては、ほとんど目撃情報がなく、個体数が極端に減少してしまったようだが、時折農場に現れて家畜を襲っていることが新聞などで報道されている。

大型肉食獣が少ないこの山地帯は、草食獣が少しゆったりと生活しているのかもしれない。しかし、この地にも密猟者が入ってくることがある。時々やって来る密猟者のほうが肉食獣よりもセーブルにとっての脅威であるのかもしれない。

様々な危険にさらされながら生き抜く野生の姿は美しい。セーブルの堂々とした姿はいつ見ても格好いい。

Vol.33 アフリカ撮影記 Ver.10

夕陽を浴びてくつろぐバブーン

ワートッグの他にも、キャンプ場に現れて人間の食糧を狙っているものがいる。バブーンだ。

体の大きさは小柄な男性くらいもあって力強そうである。数十頭の群れで行動していて、仲間同士のコミュニケーションのためか、時々ワァッウ、ワァッウと遠くまで聞こえる大きな声で吠えている。

人間の大声大会なら軽く優勝していまいそうな大声だが、声が嗄れることなく普通に吠え続けているのだからすごい。近くでこの声を聞かされるとたまったものではないが、遠くで聞こえるバブーンの声は、岩と灌木が続く風景に映えてアフリカらしい独特の良い雰囲気がある。

キャンプ場での朝、心地よい冷気に当たりながら外のテーブルで食事の準備をしていると、我々がテーブルから離れた隙にバブーンが来ていた。妻がテーブルのところへ戻った時、バブーンはちょうどテーブルの上の食物に手を出そうとしているところだった。一瞬、バブーンは驚いてひるんだが、すぐに態勢を立て直してテーブルから離れようとしない。妻の大声を聞いて僕が出て行くと、バブーンはすぐに逃げていった。

キャンプ場に出没するバブーンは、女性や子供、小柄な男性ならば慌てて逃げることはないが、僕が出て行くと追い払うまでもなく慌てて逃げていってしまうのだ。僕は、自分の気迫でバブーンが逃げていくものと思い、すっかり気を良くしていた。

ある朝、レンジャーが銃を担いでキャンプ場の見回りにやってきた。するといつものように近くをうろついていたバブーンが、まだ遠くにいるレンジャーの姿を目ざとく見つけて、すばやく逃げ去ってしまった。バブーンはレンジャーを非常に恐れているようだ。レンジャーは、ごみ箱をあさったり、人の食べ物を盗むバブーンやワートッグなどの野生動物を銃で威嚇する。バブーンは、逃げ遅れると銃で狙われることになるのをよく心得ていて、レンジャーの姿を見ると慌てて逃げだすのである。

バブーンが僕を見て一目散に逃げる謎が解けた。レンジャーのユニフォームは、モスグリーンのズボンに同色の襟つきシャツである。僕の服装も同じくモスグリーンのズボンに同色の襟つきシャツで、レンジャーと同じだったのだ。おまけに撮影機材の重量を考えて着替えなどの荷物は最小限にしていたので、ほとんど着替えることなく毎日同じ服装であった。遠目に見ると銃を肩から提げていないことを除けば、レンジャーそっくりだ。

僕は自分自身の気迫でバブーンを追い払っていると思っていただけに、少しがっかりさせられたが、僕が行くとバブーンを素早く追い払えることには違いがない。朝食の時に、テーブルの近くに僕がいるだけでバブーンは近寄ってこなかった。

近年、日本各地で起こっているニホンザルの農作物被害は、バブーンの行動と同じである。女性やお年寄りが畑にいても、サルはすぐ近くで農作物を食べているといった光景が増えている。これがエスカレートすると、人を怖れなくなったサルが、人家に侵入したり人に危害を加えるなどの重大な被害につながることもある。

野生動物は、利用できるものは何でも利用してしたたかに生きている。楽においしいものが食べられればそこにやってくる。集落や田畑で農作物に依存して暮らす動物たちの存在が、社会問題にまで発展している。

野生動物と人の間には、ある程度の棲み分けが必要だ。共にうまく生きていくために。

Vol.32 アフリカ撮影記 Ver.9

安田さんの空手チョップの後、跳んで逃げるワートッグ(Warthog)。

国立公園内を車で走ると一番よく出会う動物がワートッグ(日本名イボイノシシ)だった。

キャンプ場ではいつもまわりに何頭かが歩きまわっていた。草をさかんに食べているが、時々こちらに近づいて来るので、追い払わなければ食料を取られてしまいそうである。

ある時、同行していた友人が歩いているとワートッグが追いかけてくるので、慌てて車に戻ろうとした時に尻のあたりに噛みつかれた。ズボンの上から噛まれたが、ズボンが破れる事もなく、うっすらと血がにじむ程度で大した怪我はなかった。

その時友人は、リンゴを食べながら歩いていたらしい。ワートッグはそのリンゴを目当てに追いかけて来たのだった。動物は相手が背中を見せて逃げると、自分のほうが優位であると認識する。ワートッグは逃げる相手を見て強気になって追いかけて来たのだ。噛みついたのは人間を襲うためではなく、引き止めるためだったのだろう。

いずれにしても気を抜く事ができない相手である。

数年後、再度このキャンプ場を訪れた時、例によってすぐにワートッグが近づいて来た。追い払おうとしてもこちらの攻撃を直前でかわして逃げていき、しばらくするとまた近づいてくる。

同行していたワシ仲間の大先輩、年齢も大先輩である安田亘之さんがワートッグに一撃をくらわす事になった。安田さんの空手は相当な腕前である。野球のバットを足のすねで蹴って折ったり、瓦を何枚も重ねて割ったりとすごいパワーを秘めている。バット折りでは何十年か昔、テレビ出演もされている。

何も知らずに近づいて来るワートッグ。いつものようにかわす事ができるだろうか。安田さんは近づいて来るワートッグをじっと動かずに待っている。ワートッグの鼻先が安田さんに触れんばかりまで来た時、電光石火のごとく安田さんの空手チョップが見事にワートッグの眉間を一撃した。

鮮やかな早業だった。軽い一撃のように見えたが、ワートッグは相当にこたえた様子である。一目散に逃げて行った。その後は少し離れたところで草を食べているだけで、こちらに近づいてくる事はなかった。これで少しは人間を恐れてくれればいいのだが。

すべてのワートッグが人間に近づいてくる訳ではない。人馴れして悪さをするのは、人間が食事をするキャンプ場などで生活するワートッグだけである。食べ物ほしさにだんだんと大胆になってきているのだ。

野生動物が近くに来るとかわいいのでついつい餌をやってしまいがちになる。人間と餌とが結びついてしまうと、餌をもらうために追いかけて来たり、噛みついたりという事態にまで発展する。ワートッグは鋭い牙を持っていて一歩間違うと非常に危険だ。

野生動物はペットなどの飼育動物と違い、人間とは一線を画して付きあっていくべきものである。つかず離れず、ともに暮らしていく事が共生への道ではないだろうか。

Vol.31 アフリカ撮影記 Ver.8

草原で採食するシロサイ。普段はおとなしく人を襲うことはほとんどない。

シロサイは丸々とした巨体を持ちながら、いかにも軽そうに駆け足で走る。

体を上下左右にはほとんど動かさずに、猛然と突き進んでくる走りのせいで軽やかに見える。がっしりとした4本の足で2トンもある体を支えている。上下左右に揺れると足にかかる荷重は相当なものになってしまい、支えきれなくなるだろう。この巨大な体をうまく操り、時速40kmものスピードで走ることができる。体当たりでもされたら何メートルも吹っ飛んでしまいそうだ。

シロサイはおとなしそうに見えるが、近づきすぎると非常に危険である。撮影中にサイが向かってきたら、近くにある木に登って逃げようと目論んでいたので、僕は常にまわりの木をチェックしていた。シロサイに本気で体当たりされたら折れてしまうくらいの細い木が多かったが、他に逃げ込むところも無いので細くても木に頼るしかないのだ。

シロサイは幅広く平らな口をしていて、地上に生えている草を効率良く食べられるようになっている。特に人間を恐れている様子も無く、僕の存在など気にもかけていないかのようにゆったりと草を食べている。しかし、気に障るようなことをして怒らせては大変だ。

撮影する時も急激な動きはせずにゆっくりと行動する。それでも時々、シロサイは食べるのをやめて、顔を上げてこちらの様子をうかがっている。近づいてくる人間にシロサイも緊張しているが、それ以上に僕も緊張させられる瞬間である。

シロサイが次にどういう行動に出るか、見極めなければならない。こちらに向かって来るならば、僕は目標の木までシロサイよりも先にたどり着かなければならないのだ。

シロサイが再度草を食べ始めると僕の緊張も少しは和らぐ。この繰り返しがしばらく続くとシロサイの緊張もだんだんほぐれて、僕の行動をうかがうこともほとんど無くなってくる。僕が危害を加えないことを認識してくれたのだ。

近くから見るとあらためてシロサイの巨大さが実感できた。肩の高さは僕の背丈もあり、張り裂けんばかりの胴体の太さや角の大きさなど、とても素手では太刀打ちできない。

シロサイは、密猟によって非常に数が減っている。角が漢方薬や短剣の柄として高く取引されている。保護区内であっても密猟が後を絶たず、ほとんどいなくなってしまったところもある。ジンバブエでは、密猟の取り締まりを強化するとともに、シロサイが増えつつある地域からシロサイを運んで来て再導入を実施している。密猟さえ防ぐことができればシロサイが生きていく環境は整っている。うまくこの地に根付いていってほしいものだ。

シマウマやインパラの群れがいる草原に1頭のシロサイが現れると、僕の目はシロサイに釘付けになってしまう。シロサイには強烈な存在感がある。

Vol.30 アフリカ撮影記 Ver.7

シロサイの糞を割って見せてくれるパトリック

キャンプでの生活は、非常に快適なものであった。ロッジは掃除が行き届き気持ちが良いし、ここの人たちはいつもやさしい笑顔で挨拶を交わしてくれるので安心して滞在ができる。

食料やガソリンが手に入りにくいジンバブエで三食と送迎が付いている。早朝に車で撮影地の近くまで行く。そこからガイドのパトリックが昼食を持ち、我々は機材を持って撮影場所までの登山である。

パトリックは優秀なインタープリターである。野生動物はもちろんのこと、植物やブッシュマン・岩やケーブのことなど、この地域のあらゆるものについて豊富な知識と経験を持っている。しかし今回、我々のガイドをするのはいつもとは勝手が違っていたであろう。

いつもならばパトリックが知っている場所にお客を案内して回るのだが、今回は我々が行くところへ付いてきてもらった。撮影場所では静かにして目立たないようにしながら夕方まで待機である。普通の人なら退屈しそうなものだが、パトリックはいやな顔ひとつしていない。それどころか、そこから野生動物を探して小声で我々に教えてくれたり、ブラックイーグルの動きを追跡して必要な時に教えてくれたりと、非常に楽しそうに過ごしている。パトリックは根っからの自然好きなのだ。野外での一日の過ごし方を心得ている。

ガイドが時間を持て余してしまって、我々が気を使わなければならなくなるのではないかという当初の不安は無くなった。一日中同じ地点から動かない撮影に、我々と同じ気持ちで付きあえるガイドは少ないだろう。

撮影が順調に進み少し余裕ができると、周辺地域の野生動物や何ペアものブラックイーグルの繁殖状況を見て回った。こうなるとパトリックの出番だ。ブッシュの陰に潜むシマウマやヌー・クドゥー・エランドなどを、車を走らせながらも一瞬のうちに見つけ出してしまう。

すばらしい視力だ。しかしながら、僕も負けてはいられない。野生動物を見る目には自信がある。パトリックが動物を見つけた時は、僕が「オーすごい」と唸り、僕が見つけた時には、パトリックが「オーすごい」と唸る。お互いに意識しながら動物探しが続く。

パトリックは時々車を止めて、地面に着いた動物の足跡を調べている。砂地に着いた足跡から、動物の種類やいつごろ通ったものかなどの詳細な情報を読み取っている。動物の糞をひとつひとつ手に取って、解説してくれる。シロサイとクロサイの糞の外観は似ているが、内容物で見分けることができるらしい。シロサイは草本植物を食べているので糞の中は柔らかい繊維だけであるが、クロサイは木の葉を食べるために堅い木の枝が糞の中に含まれている。

見せてもらったクロサイの糞の中には細い木の枝がたくさん入っていた。

僕が数年前に最初にジンバブエを訪れた時に見つけた、20巣以上のブラックイーグルの巣も一緒に見てまわり繁殖状況をチェックした。昨年繁殖に成功したペアの多くが今年は繁殖していない。繁殖成功率は50%前後であろうと想像された。

野生動物がたくさんいて、ブラックイーグルの獲物となるダッシーもたくさんいるこの地においても、逃げ足の速い獲物を捕獲することは非常に難しいようである。ブラックイーグルが、ヒナを育てている巣に運んでくる獲物の量に余裕はない。

Vol.29 アフリカ撮影記 Ver.6

ケーブの壁に描かれたブッシュマンの絵

翌年も季節を変えて再度ジンバブエに向かう予定であったが、ジンバブエはイギリスの経済制裁などによって政情が悪化していた。

食料やガソリンが不足して暴動も起こっているとの情報があり、外務省も渡航自粛を呼びかけていた。ジンバブエに入っても自由に撮影をすることはほとんど不可能と思われた。

我々は政情の回復を待った。しかし、2年待っても状況は変わらない。3年目に再度挑戦することにした。相変わらず政情は良くないが、少しは落ち着いてきたようである。食料とガソリン不足は変わらず、我々が正規のルートでこれらを入手することは難しい。

食事付きで撮影地までの送迎が可能な、私設のサファリキャンプに滞在して撮影を継続することになった。

ジンバブエの空港に到着し、緊張しながら空港を出る。ガイドのパトリックが迎えに来てくれている。がっちりとした体格で明るく感じの良い笑顔に、我々の緊張は一気にほぐされた。

荷物を積み込んでキャンプへ向かう。町の中は、3年前に来た時より人通りが少なくなって活気がない。土産物や食料品など、露店のほとんどが無くなっている。やはりガソリンは不足しているらしく、ガソリンスタンドは閉まっている。1軒だけ開いているスタンドには、何百メートルも車の列ができているが、店員が給油をしている様子はない。パトリックに聞くと、燃料が無くなって今日の販売は終了しているらしい。並んでいる車は、明日入荷される燃料を待っているのだという。

町を抜けると、そこは以前と変わらぬ風景である。もともと、荒野が続き、所々に放牧された牛がいて、時々歩いている人間に会う程度なので、ほとんど変わりようもないのだ。

数十キロ走って、車は一本道の幹線道路を外れてキャンプへと続くダートコースへ入った。キャンプのシンボルマークであるフクロウを描いた看板のあるゲートに着いた。ここから先はキャンプの私有地である。有刺鉄線と木の枝で作った柵が続いている。ジンバブエでは、私有地や国立公園の境界は、こうした手作りの柵で囲まれている。

草原や森林地帯を抜けてしばらく走った岩山の上にキャンプはあった。岩山の上に大きな岩が重なり合うように乗ってケーブを作っている。かつて遠い昔、このケーブはブッシュマンが利用して雨風をしのいでいたものだ。土で作った直径80cm、高さ120cmほどの、臼のようなフードストッカーが今も残っている。

この地域には、ブッシュマンが暮らした同じようなケーブが点在する。彼らは、定住せずに野生動物を狩りながら移動生活をしていた。多くのケーブには、ブッシュマンが描いた壁画が残っている。その絵は野生動物と人間を描いたものが多い。動物の特徴をうまくとらえたすばらしい絵である。使われている赤い絵の具は、土や草の汁、動物の血や卵など何十種類もの材料を混ぜ合わせて作られているらしい。数千年から1万年程前に描かれたものが、現在も鮮明に残っているのだ。

見渡すかぎり人工物が見えない景色は、有史以来変わっていないだろう。今、僕はブッシュマンが見たのと同じ景色を眺め、撮影のために野生動物を探している。野生動物の行動を読み、狩りをしていた彼らに親近感を持った。

Vol.28 アフリカ撮影記 Ver.5

岩の上で遊ぶダッシー(Dassie)の子供

ブラックイーグルが棲む岩山で、最もよく目にする動物はダッシー(別名ハイラックス)である。

ダッシーは、体長40〜60cm、体重2〜5kgで、ブラックイーグルにとってちょうど手ごろな獲物である。ジンバブエのブラックイーグルは、獲物のほとんどをこのダッシーに依存している。

ブラックイーグルのテリトリーの至る所で、ダッシーの小さな群れが岩の上で休んだり、走り回ったりしている。食うものと食われるものがお互いの姿を目にしながら暮らしている。ブラックイーグルはダッシーの動きを監視し、狩りのチャンスを狙っている。ダッシーは危険が迫ると岩のすき間に素早く逃げ込んで難を逃れる。常に緊迫した状況にあるはずだが、僕にはダッシーが緊張してビクビクしながら暮らしているようにはまったく見えない。むしろブラックイーグルをからかっているようにさえ思えてくるのだ。

夜間は、気温が10℃以下に下がるため、ダッシーは朝になると岩の上に出てきて、日光浴を始める。岩の上にたたずみ、全身に太陽の光を浴びている。体が温まったダッシーは、大胆にも全身を伸ばし、まったくの無防備な体勢で岩の上に横たわる。中には、ブラックイーグルが真上を旋回していても、この無防備な体勢を崩さないダッシーもいる。

ブラックイーグルは、岩に止まってあるいは上空を飛翔しながら、遠くからダッシーの動きを監視している。ブラックイーグルがスピードを上げ、接近してきた時に初めて、くつろいでいるように見えたダッシーの群れは、警戒の声を上げて一気に岩のすき間へ逃げ込んでしまう。無防備に眠っているように見える体勢の時、まわりへの警戒は最大になっているのかもしれない。ブラックイーグルもそのことを心得ているのか、日光浴をしているダッシーを遠くから見ているだけである。

どんな時にブラックイーグルには狩りのチャンスがやって来るのだろうか。実は、ダッシーが岩の上でのんびり過ごしていてその姿がよく見える時ではなく、比較的目に付きにくいのだが、木の上や地上に降りて採食している時が、まわりへの警戒が手薄になっている時である。また、採食地へ移動中に逃げ込む隠れ場所が無い場合もチャンスである。

ブラックイーグルはじっくりとダッシーの行動を観察し、狩りのチャンスが来るのをひたすら待っている。やがて油断している一匹に狙いを定めたブラックイーグルが静かに飛び立ち、一直線にダッシーに向かう。しかし、襲いかかる直前に気づかれたり、まわりにいる他のダッシーの警戒声で気づいて逃げられたりと、狩りの成功率は低い。

非常に多くのダッシー(獲物)のいる岩山に暮らしているブラックイーグルは、獲物には事欠かないと考えていたが、それほど単純なものではないようだ。

日本のイヌワシでは、ノウサギなどの獲物が減少したために、食物不足で繁殖成功率が低下している。日本のイヌワシは、獲物が見つからないために厳しい生息状況が続いている。

ジンバブエのブラックイーグルは、たくさんの獲物を目の前にしながら手を出せずに厳しい生活をしている。どちらもなかなか厳しい状況である。