Vol.26 アフリカ撮影記 Ver.3

巨大な翼を広げて悠々と飛翔する

ヨハネスブルグを出発して3日目にしてようやく国境に到着した。

出入国事務所の駐車場へ入ったところで、2、3人が我々の車の前に来て、駐車場の端の大型トラックの後ろに並ぶように先導した。順番待ちと思い、手渡された出国手続き用紙(本物)に何の疑いもなく記入した。この用紙と入国査証代金をUS$100の紙幣でその男に支払った。3人で90ドルなので10ドルの返金があるはずだが、受け取った男の方を振り返ると徐々に我々から遠ざかっている。

その時になってだまされたことに気がついた。車から飛びだして追いかけたが、相手は長い足で素早く走って事務所の建物に入っていった。続いて僕も飛び込んだが、逃げた男は見当たらない。100ドルは取られてしまったが、お金だけですんだのは運が良かったと思ってあきらめることにした。

その後も、こそ泥的なものには何回も遭遇したが、この時の教訓が生かされて大事に至るようなことはなかった。この地では、こそ泥的な犯罪は日常茶飯であり、だまされるほうが悪いのだ。

初めて訪れた南部アフリカは、話に聞いていたとおり赤茶けた大地だった。それでも樹木は思っていたより繁っている。とは言っても、日本のような立派な森林ではない。灌木あるいは疎林といったところである。林床の植物は少なく赤茶けた土が露出している。

ジンバブエまでの道中に、道路脇の木や上空に数十羽のケープバルチャー(ハゲワシの一種)が集まっているところがあった。近くに動物の死体があるに違いない。まわりを見渡すとバルチャーが舞い降りていく場所に牛の死体があった。

広大なエリアを飛び回って死体を探すバルチャーは、相当な視力の持ち主である。獲物を発見した仲間を見つけて、周辺から次々と集まってくる。はるか遠くを飛翔する仲間の姿を見つけて、飛び方などからそこに獲物があるかどうかまで見分けているのだ。

巣から100km以上も離れた遠くまで獲物を探しに出かけることがあるらしい。すごい飛翔力である。高空を滑翔していく姿を見かけるのは、獲物を探して長距離移動中なのかもしれない。普段から長距離移動をする鳥であるだけに、帆翔や滑翔をする姿は悠々として様になっている。

次々と死体の近くへ舞い降り、ゆっさゆっさと体を揺さぶりながら駆け寄って、押し合い圧し合い死体をむさぼっている。

腹いっぱい食べて重くなった体で、少し助走をつけてなんとか飛び立っていく。素嚢に肉を詰め込んで、ヒナの待つ巣へ向かう。ため込んだ肉片を巣の上で吐き戻してヒナに与えるのだ。

近年では、野生動物の死体が少なくなったことや家畜の死体を放置しなくなったことによりバルチャーの数が減りつつあるようだ。南アフリカでは、生息数が減少しているバルチャーの保護活動が各地で行われている。

アフリカでは、野生動物の主な生息地は国立公園や私設の動物保護区に限られている。この中は厳重に管理され護られている。しかし、一歩外へ出た私有地では、家畜や農作物が獣にやられないように囲いを造って進入を阻み、これまた厳重に守られている。アフリカでは、野生動物と人間の生活圏を分けることで、広い意味での共存が実現している。

日本では国立公園は厳重に守られているとは言い難いが、現在まで野生動物と人間が同じ地域でなんとか共存してきた。これは先進国としては、極めて希有な状況である。このままの共存関係を守り続けられれば、世界に誇れるすばらしいことである。

Vol.25 アフリカ撮影記 Ver.2

ブッシュの陰からこちらの様子をうかがう2頭のキリン

飛行機は予定通り早朝6:30分にヨハネスブルグに到着した。撮影機材が無事に到着しているかどうか気掛かりだ。

荷物が出てくるターンテーブルの前で待つが、我々の荷物は出てこない。やはり荷物は来なかったのかと不安になり始めた時、ターンテーブルから少し離れた床の上にたくさんの荷物が置いてあるのに気がついた。荷物の山の中から次々と我々の荷物が発見された。荷物だけが早い便で到着して、ここに置かれていたようである。とにかく全部の荷物がそろった。

キャンピングカーを借りて、陸路でジンバブエに向かった。今日中にはジンバブエの国立公園までたどり着き、そこでキャンプの予定である。南アフリカは通過だけなので現金を使うこともないと思い、両替をせずに走り出した。出発前に問い合わせたツアー会社の担当から、クレジットカードがほとんどのところで使えることを聞いていた。

レンタカー会社でもらった地図だけを頼りに、目的地まで行けるのかどうかかなりの不安がある。なんせ道路地図とはいえ、日本で見るような詳細な地図ではないのだ。道路地図の1ページに日本全土が入るくらいの縮尺の地図である。

案ずるより産むが易しで、走り出してみると意外となんとかこの地図で走っていけるものである。縮尺が大きいので、相当走ったと思って地図を見ても地図上ではほんのわずかしか移動していないのだ。ジンバブエとの国境までは予想以上に時間がかかりそうだ。

しばらく走ると前方に料金所が見えてきた。両替しなかったために南アフリカの通貨(ランド)がない。以前に南アフリカに来たことがあるスタッフの一人が、残った小銭を持っていたのでそれでなんとか切り抜けた。ほっと安心したのもつかの間、また料金所がやって来た。南アフリカの通貨はさっきの料金所で使い果たしてしまった。クレジットカードも使用できないと言う。

どこかの街まで引き返して両替をするかどうか検討することにした。しかし、悩んだ末にVISAカードが使えないはずはないだろうという結論に達した。もう一度、今度は違うレーンで挑戦してみることにした。使用できるかどうか分からないが、とにかくカードを機械に通して試してくれた。不思議なことに今度は使用できた。

夕日が山に沈もうとしているというのに国境まではまだ遠い。道路脇でキャンプするのは非常に危険である。どこでキャンプしていいのかも分からないまま、あたりは暗くなり始めた。100kmほど走ったところにベンレーベンという私設の動物保護区があるのを地図で見つけた。ここなら安全にキャンプができるかもしれない。

日はとっぷりと暮れて、ようやくベンレーベン動物保護区の入り口に到着した。入場料の支払いにクレジットカードが使用できるように祈るしかない。カードOKと聞いてほっと胸をなで下ろした。

翌朝、水場にはたくさんの小鳥たちがにぎやかに囀りながらやって来た。僕はこののどかな動物保護区を散策してみたくなった。動物を探しながらゆっくりと車を走らせる。ベルベットモンキー・マングース・インパラ・クドゥなど、じっくりと見ることができた。2頭のキリンは近くの潅木地帯から我々の様子をうかがっている。徐々に細い木の後ろに入り、丸見えだが隠れているつもりらしい。

ベンレーベンを出発したのは午後になっていた。町へ寄って少し食料を買う。両替のために銀行を捜すが土曜日なので閉まっている。今日も国境の直前で日が暮れた。キャラバンパークを見つけてキャンプとなった。簡単な食事を取り、早めに眠った。

翌朝は、まわりを歩き回るホロホロチョウを見ながら朝食を取り、すぐに出発した。1日の予定であった国境越えに3日を要した。いよいよジンバブエ入りだ。

Vol.24 アフリカ撮影記 Ver.1

ヨハネスブルグからはキャンピングカーの旅が始まる

ジンバブエは今朝も快晴だ。体が引き締まる冷気があたり一面に漂っている。ここは標高1,300mの高原であるため、冬季の朝夕には気温が10度以下にまで下がるのだ。

ジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部、南アフリカ共和国の北側に隣接する。四季はあるが日本のようにはっきりしたものではない。6〜9月まではほとんど雨は降らないが、10〜5月まではスコールのような雨が降ることが多い。

天気図とにらめっこしながら撮影予定を立てる日本とは違い、乾期のジンバブエでは、雨や雪で撮影が進まないという悩みはまったくない。あとは動物の動きを予測して撮影に集中するだけである。

初めてのジンバブエ入りは前途多難をうかがわせるものであった。関西空港から飛び立った飛行機は香港、南アフリカのヨハネスブルグへと乗り継ぐ予定であった。しかし、飛行機は香港の手前で急きょ方向を変え、フィリピンのマニラ空港へと向かったのだ。香港空港で飛行機の横転事故があり、空港が閉鎖されてしまったらしい。マニラ空港は非難してきた飛行機と旅行者でごった返していた。

夜も更けてようやく航空会社が用意したホテルへの送迎の順番が回ってきた。我々を乗せたタクシーは、信号で並んだ隣の車とカーチェイスをしながら、ホテルへ向かってぶっ飛んでいった。最後の方に割り当てられたホテルは、かなりランクの落ちるものだった。長い間使用されていなかったシャワーからは、しばらくの間赤さび色の水が流れた。とにかく今夜はゆっくりと眠って、香港空港の一刻も早い再開を待つだけだ。

翌日の夕方、ようやく香港へ向かって飛行機が出発した。香港空港では、再開とともにあちらこちらの空港で待機していた飛行機が一斉に到着した。空港内ではマニラどころではない混雑が待っていた。乗り継ぎカウンターは人、人、人である。カウンターははるか遠く、いつになったら到達するのか見当もつかないが、ヨハネスブルグ行きは23:50分発なのでまだ十分時間がある。

何時間経ってもまったく前に進まない。カウンターの前にいる人も入れ替わっていないのだ。係員が行き先の地名を大声で叫ぶと、その便に乗りたい人のパスポートが後ろの方から次々と手渡されてカウンターまで運ばれていった。歩いて行きたくてもぎゅうぎゅう詰めで身動きも取れないのだ。しばらくすると前の方からパスポートが手渡しで後ろの方へ戻っていった。他人事ながら、パスポートが戻っていったのを見てほっと安心した。パニック状態の中、よくぞ同じ方向にパスポートが返ってきたものだ。こんなことを繰り返しながらも、人はまったく減ってはいない。カウンター内がもう機能していないのだ。

ようやく進展がみられたのは、すでにヨハネスブルグ行きの便が出発してしまってからであった。夜中を過ぎてようやく、カウンターにたどり着き交渉が始まった。しかし、今日(すでに0時を過ぎているので翌日ではない)はヨハネスブルグ行きの便がなかった。何を言ってももうどうすることもできない。翌日の便を予約してホテルにチェックインしたのは、朝の5時を過ぎていた。預けた荷物は今ごろどこへ行っているのかも分からず、着替えも何もないままの香港滞在となってしまった。

予定より3日遅れてヨハネスブルグへ向かって出発した。ヨハネスブルグからは、キャンピングカーを借りてジンバブエまで陸路による国境越えの予定だ。撮影機材や着替えなどすべての荷物は無事にヨハネスブルグへ到着するのだろうか。不安は残るが、とりあえずジンバブエへの旅が再開した。

Vol.23 サシバ:渡りをするタカ

上昇気流を捉えて高度を上げ一直線に渡っていく

「ピックィー」。4月の晴れ渡った空からサシバの懐かしい鳴き声が聞こえてくる。

サシバは、秋になると一斉に南へ旅立ち東南アジア方面で越冬する。近畿地方へは、毎年4月初旬に帰ってきて繁殖を始める。春になると今か今かとサシバの声を心待ちにしてしまう。

サシバは里山を代表するタカである。田んぼや畑がある丘陵地帯でよく見かける。田んぼや畑の脇の電柱に止まり、カエルやヘビ・モグラなどを探している。獲物を見つけると素早く急降下して捕まえ、巣へと運んで行く。かつてののどかな里山の風景である。かつてと書いたのは、近年サシバの個体数が激減しているように感じるからである。田んぼや畑に出てきて獲物を探す姿を見ることが少なくなった。田んぼや畑にサシバの獲物となる小動物が少なくなってしまったのだろう。外見上は大きな変化のない里山地域においても、サシバの生活の変化から推察すると生物多様性が失われ始めているのではないかと思われる。

また、サシバの個体数が減っているのは、越冬先の問題なのか繁殖地である日本の問題なのか、両方が関係しているのかをはっきりとさせてその地域の豊かな自然環境を取り戻す必要性が出てきそうだ。

4月になって繁殖地に戻ったサシバは、ペアで巣造りをして、5月の上・中旬頃に産卵する。2?3羽のヒナを育て、ヒナが巣立つのは7月の上・中旬頃である。巣立った幼鳥も2?3ヶ月後には、海を越えて長距離の渡りをする。長距離の渡りは相当な危険をともない、特に、経験がなく飛行技術の未熟な若いサシバはさらに危険度が高くなるだろう。

春の渡りでは大群となることはほとんどなく、三々五々各地へ姿を現すが、秋の渡りでは各地から合流したサシバが大群となることが多い。愛知県の伊良湖岬や鹿児島県の佐多岬などは、数万羽のサシバが通過する場所として有名である。これらの場所以外でも規模は小さいものの、各地で数羽から数十羽の群れが南西方向へと渡っていくのが秋晴れの空に観察できる。

30年近く前の10月上旬。有名な渡りの通過コースではない自宅の裏山で、20?30羽のサシバの群れが澄み切った青空をバックに現れた。それぞれが流線型に翼をすぼめて垂直急降下や急上昇をしたり、2羽がもつれ合うように追いかけあったりと素晴らしい空中ショーを繰り広げた。非常に長い時間夢中で見ていた記憶があるが、今思うとたぶんほんの数分間のことだったであろう。

里山で止まって獲物を探しているサシバとは一味違う活発でかっこいいサシバの一面だった。その後、これほど華麗な飛行をするサシバの群れに出会っていない。この日の華麗なる空中ショーの感動は、今でも心に焼き付いて鮮明に覚えている。サシバの俊敏な急降下を見るたびに思い出すのだ。

Vol.22 ツキノワグマ:森の愛嬌者

立木に寄り掛かって一休み

雪解けの頃から木々が芽吹いて葉に覆われるまでの間が、1年のうちで最もツキノワグマを観察しやすい時期である。

早春の林床は見通しがよく、遠くからでもクマの行動が観察できる絶好の季節だ。冬眠から目覚めたばかりのクマが残雪の上を歩き、若葉が伸びはじめた草原で柔らかい草を食べ、木に登って新芽をむさぼる。

早春のある日、イヌワシの撮影のために沢沿いを歩いていた僕は、対岸にあるタムシバの木にクマが登っているのを発見した。クマとの距離は100mくらいであるが、クマは僕には全く気づいていない。丸々と太った大きなクマだ。しばらく行動を観察する。直径5cmほどもある枝にかみついて、ねじるようにして一気に折り取る。普通の人間では及びもつかない怪力だ。クマは枝に付いた花を盛んに食べている。30分ばかり食べ続けたあと、頭を上に向けてお尻からモゾモゾと不器用そうに幹を降り始めた。木登りは得意で細い枝先まで器用に登っていくが、降りるのだけはどうも苦手なようである。降りる姿を見ていると、木の下に行ってお尻をつついてみたくなってくる。そのくらい愛嬌たっぷりなパフォーマンスだ。

さらにクマは憎めない。降りる途中の枝が混みあったところで一休み、昼寝を始めたのだった。近づいて撮影したいところだが、昼寝の邪魔をせず今日のところは目的のイヌワシの撮影に向かうことにした。

翌日、昨日のクマを待ち伏せする。昨日登っていたタムシバには、もちろんもうクマの姿はない。近辺のクマが出てきそうな林の中で、息を潜めて待つこと4時間半。斜面の下の方からガサガサと音が聞こえてきた。音はだんだんと近づいてくる。

僕の目の前10mの薮から姿を現したのは、期待どおりツキノワグマだった。クマがそのまま前進すれば僕に突き当たってしまう。カメラを静かにクマの方へ向けながらも、クマとの間合いをはかる。これ以上近づくのはお互いに危険である。

一瞬緊張が走ったのを知ってか知らずかクマが方向を少し変えた。僕の目の前をクマがゆっくりと歩いていく。黒い毛皮がたゆんたゆんと揺れている。クマは、僕がいることに気づいてはいないが、時々立ち止まって後ろを振り返る。何となく気配を感じているのかもしれない。

クマは人間に危害を加える動物として恐れられている。クマも人間を恐れている。お互いが相手を恐れて、できるだけ接近しないように生活しているのだ。この絶妙なバランスでお互いがうまく共存してきた。しかし、近年では人里に出没するクマが目に付くようになった。

人間はクマが生活できる森を残すことを約束し、クマには人里でいたずらしないように約束を交わしたいものだ。かつては暗黙のうちにこのような「約束」ができ上がっていたのではないだろうか。

Vol.21 猛禽類の生存戦略

人工物に止まるクマタカ

猛禽類は、個体数の減少や繁殖成功率の低下など、将来が危ぶまれる種類が多い中で、環境の変化にうまく順応してしたたかに生きる種類も少なからずいる。

猛禽類は警戒心が強く、人間とは距離を置いて生活していると考えられていたが、近年では都市部のビル街や市街地の公園で繁殖するものなど、人間の往来の激しい場所へ進出する個体が見受けられるようになった。オオタカやハヤブサの仲間は人間が作り出した新しい環境に順応して繁殖を始めている。

猛禽類の生存を左右する主な要因は、獲物となる動物の豊富さである。彼らは、都市部や郊外で増えているドバトやスズメなどに目をつけたのだ。中型のオオタカやハヤブサはドバトを主に捕食し、小型のハイタカやツミなどはスズメや他の小鳥を捕食する。

本来岩場で繁殖するハヤブサは都市部の高層ビルで繁殖し、森林性のオオタカの仲間は公園や郊外の林に営巣する。人間への警戒心を少しずつ和らげながら進出してきたのである。

市街地に進出する猛禽類がいる一方で、イヌワシやクマタカは山地に住み続ける。彼らはノウサギやヤマドリ・リス・テンなどを獲物とするために、市街地への進出はありえないだろう。イヌワシやクマタカは、昔ながらの自然環境が残る山地帯で生活し続けるしかないのだ。昔ながらの自然環境とはいっても、近年では奥山にまで開発の波が押し寄せ、彼らの生活も少しずつ変わってきている。

山地に住むクマタカだが、山の中にそびえ立つ巨大な人工物である高圧鉄塔をよく利用する。まわりの樹木よりも何倍も高い鉄塔は見晴らしが利くので、獲物を探すのにも周辺の見張りをするのにも非常に都合がいい。しかし、高圧鉄塔は感電の危険性がある。実際に感電して黒焦げになったクマタカの死体も見つかっている。飛行中に高圧線にぶつかる危険性もあり、海外の国立公園などでは、高圧線によく目立つ目印をつけたり、鉄塔の感電する恐れのある部分に止まれなくして、代わりに安全な位置に止まり木を取り付けているところがある。

高圧鉄塔はイヌワシにも利用価値の高いものだと思えるが、イヌワシが鉄塔に止まったのを一度も見たことがない。

猛禽類も環境の変化を有利に利用できるように少しずつその環境に順応してきている。獲物が豊富で営巣地が確保できるのであれば、少々の環境変化は受け入れてしまうのだ。しかし、市街地やその郊外の環境の変化は非常に早く大きい。1年後には営巣地や獲物が同じところで確保できるかどうかわからない。非常に不安定な生息地であることは間違いない。

人工物をほとんど利用することのないイヌワシは、環境の変化にも弱い猛禽だと考えられる。その分イヌワシの生息する山地帯は、近年の機械化された奥山開発に圧迫されてはいるものの、市街地周辺に比べると環境の変化は比較的ゆっくりしたものである。

環境への適応力が高い猛禽と、適応力は低いが変化の小さい生息地に住む猛禽、どちらの選択が有利だろうか?

個としては後者の方が、種としては前者の方が有利であろう。

さて、選択の余地があるならば、自分はどちらを選ぶだろうか。

Vol.20 クマタカ:幼鳥の一日

獲物の出現と親の帰りを待つ幼鳥

クマタカのヒナが巣立ちするのは、近畿地方では7月の中旬頃である。巣立ちを境にヒナから幼鳥へと呼び名が変わるが、まだまだ一人で生活できるわけではない。

生きた獲物を捕まえることができるようになるには相当な訓練期間が必要だ。狩りに挑戦するが、成功することはほとんどない。近くに現れる小鳥に首を伸ばして狙いを定め、襲いかかっては失敗を繰り返している。動きの素早い小鳥は幼鳥の手には負えない。獲物を捕獲できるようになるのは半年ほど先のことであろう。それまでは親が運んでくる獲物を頼りに生活している。

幼鳥は日増しに飛翔力をつけて付近を飛び回るようになるが、遠くまで出かけて行くことはしない。遠くに離れてしまっては、親クマタカが獲物を運んできても幼鳥を見つけられない。クマタカは森林内で狩りをしたり休息したりしているので、親クマタカと幼鳥がお互いを探し出すためには、ある程度限られた範囲で幼鳥が行動している必要がある。

獲物を運んで来た親クマタカは、まず巣の近くで幼鳥の姿を探す。巣立ち直後は、親クマタカはダイレクトに空の巣へ獲物を運ぶ。この時期幼鳥は巣から数10 mしか離れずに生活しているので、親クマタカが獲物を持ち帰ったのを見つけて慌てて巣へと戻ってくる。

2、3ヶ月経って幼鳥が数100 mの範囲を行動するようになると、親クマタカは巣の周辺が見渡せる場所に止まって、フィーと細く高い声で鳴きながら幼鳥に獲物を持ち帰ったことを知らせる。林の中にいる幼鳥がこの声を聞きつけ、ピィーヨ・ピィーヨと鳴きながら飛び出してきてお互いが接近し、林の中に入って獲物の受け渡しが行われる。幼鳥がいつもの場所から離れている時などは、親クマタカと幼鳥がお互いを見つけるまでに相当な時間がかかることもある。

巣立ち後3ヶ月が過ぎた秋、親クマタカは獲物を持ったまま幼鳥を呼び続けるが反応がない。転々と止まり場所を変えて呼び続けても同じである。そのうち親クマタカがしびれを切らし、持っている獲物を少しずつ食べ始めた。幼鳥が受け取るはずであった獲物がだんだんと小さくなっていく。幼鳥はその日の食事にありつくことはできなかった。親クマタカが食べ終えて、飛び去るのを見てようやく幼鳥が姿を現した。ピィーヨ・ピィーヨと鳴き叫んでみても、もうあとの祭りである。

幼鳥の一日は、自分で獲物が捕獲できるように狩りの訓練をすることと、親クマタカが獲物を持ち帰るのを見逃さないようにすること、この2つが主な仕事である。まだ自分で十分な獲物を捕れない幼鳥にとっては、どちらも非常に大切なことである。

巣立ちから半年が経つ頃には、親クマタカは次の繁殖に入るために幼鳥を追い出すようになる。狩りの仕方を十分に得とくできたかどうかがこれからの幼鳥の生死にかかわってくる。まだ頼りない狩りの様子の幼鳥が親のもとから旅立っていく。

Vol.19 クマタカ:狩りの戦術

吹雪の中で獲物を待つ

人間を含めた生物にとって、生きるために重要なものはやはり衣食住であろう。

クマタカは、自前の高級な羽毛を身に付けているから衣の問題はない。食物の量は、生死や繁殖に直接影響する。住み家(営巣環境)が無くなればその地域から姿を消すことになる。食物や営巣環境は、自然に存在するものであって、自ら作り出すものではない。それが人間と野生動物との大きな違いの一つである。

クマタカは、限られた自然環境の中で何とか生き抜いている。獲物となるノウサギやリス・テン・ヤマドリなども近年では生息数が減少し、食物を得るのが大変である。クマタカの狩りの方法は、木の枝に止まって獲物が現れるのを待つ、待ち伏せ型を多く使っている。この方法は、森の国の日本では、かなり有効な方法であるといえる。飛行しながら獲物を探すこともあるが、森林地帯では林床の見通しが悪くあまり効率が良くないのだ。

いずれにしても、獲物はたやすく手に入るわけではないので、生活のほとんどすべての時間を狩りのために費やしている。気持ちよさそうに帆翔している時も、ゆったりと木に止まっている時も、常にその目は獲物を探し続けている。一日中休みなく探し続けても獲物が見つからない日も多い。獲物が捕獲できた時には、満腹以上に食いだめする。獲物がない日には、次の獲物にありつくまで何日も空腹で過ごす。一週間以上も獲物が捕れないこともあるのだ。

ある日、尾根にある大木に止まり、獲物を探すクマタカを見かけた。かれこれもう2時間以上も止まり続けている。夕やみが迫りあたりが薄暗くなり始めた頃、それまで垂直に立っていた姿勢が水平姿勢になり、首を伸ばして何かを凝視している。明らかにその目に獲物を捉えている。獲物となる相手は何か、僕にはまだ見えない。獲物は速いスピードで動いているらしく、クマタカの視線が移動している。20秒ほどの緊迫した状況は非常に長い時間であったように感じられた。

クマタカは、ついにフワッと飛び立ち、翼を半分閉じたまま急降下でスピードを上げている。クマタカの前方に数羽のハトが僕の目に飛び込んできた。クマタカは、前方から来たハトが通り過ぎるのを待って飛び立ち、後方から追いかける戦法をとった。クマタカはハトとの距離をグングンと詰めていった。クマタカがハトに襲いかかった瞬間、暗くなり始めた山の斜面に紛れて見えなくなってしまった。数秒後、数羽のハトが尾根を越えて飛び去るのが見えたが、狩りが成功したかどうか知る術はなかった。

クマタカの獲物は非常にバラエティに富んでいる。小さなものではスズメくらいの小鳥から、大きなものではキツネの幼獣まで様々である。体長70〜80cmもある大型のクマタカが、10cmそこそこの小鳥やネズミまで捕食する敏捷さには驚かされる。

ハトを襲った時に見られたように、クマタカは狩りのための戦術を駆使して、様々な獲物に挑んでいるようだ。獲物となる野生動物が減少している現在では、昔ほど頻繁に獲物を見つけることはできないだろう。クマタカは、様々な動物を獲物とし、狩りの腕を磨くことで、厳しい状況を生き抜いている。

Vol.18 クマタカ:子育て

生後約40日経って黒い羽毛が生え始めたヒナと雌クマタカ

小鳥たちがにぎやかにさえずり始め、春の訪れを告げている。

渓流ではミソサザイが、小さな体からは想像もつかないくらい大きな透き通った声で盛んにさえずっている。岩に張り付いた巣材となるコケをくちばしで集めては運んでいる。渓流沿いのえぐられた土手に巣が作られていた。小鳥たちもいよいよ繁殖シーズンを迎えている。

クマタカは、小鳥たちよりひと足早く、3月の上旬から中旬に産卵する。しかし、今年は僕が観察しているペアの中には、今のところ産卵しているペアがいない。今年の滋賀県湖北地方は異常に雪の少ない冬だった。人は過ごしやすい冬だったというが、繁殖が思わしくない今年の状況からすると、クマタカにとっていつもと違う気候というのは過ごしにくいものなのかもしれない。

例年だと4月の中・下旬には純白の綿毛に包まれたかわいいヒナが誕生する。猛禽類のヒナは、白い綿毛に覆われているものが多いが、クマタカのヒナはその中でも一二を争うくらいかわいい姿をしている。全身が純白で、黒く引き締まったくちばしとまんまるい黒い瞳がなんともかわいいのだ。

クマタカはアカマツなどの大木に直径1mほどもある大きな巣を作る。何年にもわたって同じ巣を利用するために、毎年少しずつ巣材が積み重ねられて巣の厚みが増していく。これまでに僕が見た一番大きな巣では、高さが1.7mに達するものがあった。何十年も使い続けられてきたことは確かである。

巣が架けられているアカマツも立派な大木だったが、それ以上にこの巣は見ごたえのあるものだった。30年も前の話である。当時中学生だった僕は、そんな貴重な巣だとは夢にも思わず、写真の一枚も残っていない。残念ながら現在ではもう跡形も無くなっている。その後、50巣以上のクマタカの巣を発見したが、こんなに大きな巣を見たことはない。

何十年も同じ巣を使い続けられるということは、そこの自然環境がとても安定したものであったということだ。最近では、うすっぺらな巣で繁殖したり、たびたび巣場所を変えるペアが少なくない。これから先、1.7mを越える厚さの巣にお目にかかることはできるだろうか。かなり難しそうだ。いつかそんな巨大な巣に出会えたなら、天然記念物に指定してでも残したいものだ。

クマタカは卵を1個産んで1羽のヒナを大切に育てる。雌クマタカはヒナが生後1ヶ月くらいになるまでは巣から遠く離れず、ヒナを保温したり外敵から守っている。その間は雄クマタカが運んでくる獲物だけが頼りだ。

ヒナが生後1ヶ月になる頃には、日ごとに食欲おう盛になるヒナの食欲を満たすために、雌クマタカも少しずつ狩りに出かけるようになる。1羽で残されたヒナは、まわりに潜む危険におびえることもなく、元気に羽ばたきの練習をしたり昼寝をしたりして親の帰りを待っている。

すくすくと育つヒナの姿を今年は観察することが出来るだろうか。少し遅れてでも産卵してくれることを期待している。

Vol.17 ミサゴ:魚食のタカ

水辺の枯木に止まって魚を狙う

ミサゴは、海や川、湖などの上空を飛び回り、水面近くを泳ぐ魚を専門に捕えて食べる。

魚相手とはいえ狩りは豪快だ。魚を見つけると上空から翼をすぼめて急降下。脚を突き出し、バシャッという派手な水しぶきをあげて水中へ突っ込む。深く潜るわけではないが、一瞬、体全体が水中へ消えてから水面に浮かび上がる。狩りが成功していれば脚に魚をつかんでいる。

大きな魚を捕まえて水面から飛び立つのに苦労している姿を目撃することがある。40cm以上もある魚を捕えたときには、しばしの間水中で力比べだ。ようやく空中へ持ち上げて飛行しても、あまりの重さになかなか上昇できない。慌ただしく右へ左へと飛行しながら少しでも高度を稼ぐと、ヒナの待つ巣へ向かって必死で羽ばたきながら移動して行く。

ミサゴは体長約60cm。頭から腹にかけてのまばゆいばかりの白色と翼上面の茶褐色があざやかなコントラストで凛々しく美しい。

生きた獲物を捕食する猛禽類は、引き締まった体とすきのない身のこなし、威厳ある風貌をしている。ミサゴもいい顔つきをしている。

魚を食べる他のワシやタカが、水面をかすめて魚を捕えるのに対して、ミサゴは水面に体当たりするように激しく、もっと深いところの魚を捕える。この激しさがミサゴの精かんさをかもし出しているのかもしれない。

ミサゴは広い範囲の川や海を飛び回って獲物を探すが、中には魚がたくさんいる養魚場に居着いてしまう個体もいる。養魚場の池には非常に高密度で大物が泳いでいる。1日に1?2匹も捕えて食べれば十分である。居心地がいいらしく、毎日池のそばの電柱に止まり、その池から離れようともしない。時々急降下して大きな錦鯉をさらっていく。食餌場所へ運んで行って食べる。食べ終わると再び電柱に戻ってきている。

近年では、川や海の魚が減少している。ミサゴの生活も厳しさを増している。よくぞこの小さな養魚場を見つけたものだと感心させられる。利用できるものを見逃さない野生動物のしたたかさである。

しかし、養魚場に居着いたミサゴには、なぜか精かんさが感じられない。いつも十分な獲物にありつき羽毛を膨らませて止まっている姿は、川や海で獲物を探すシャープなミサゴとは別物のようである。

野生動物も人間も同じように楽な暮らしができることを望んでいる。野生動物はシャープに生きてほしいというのは、僕の勝手な願望であるかもしれない。

しかし、養魚場にべったりと居着いた生活が長続きするとは思えない。養魚場の持ち主は、ミサゴが錦鯉をさらっていることはまだ知らないようだ。ミサゴは今日も電柱でのんびりとくつろいでいる。大事な錦鯉を捕っていることが養魚場の持ち主にばれたなら、一悶着あることは間違いない。

人間とのあつれきの中で悪い結末にならないことを祈りたい。ミサゴという種全体が害鳥のレッテルを貼られることがないよう、持ち主に気づかれないうちにこのミサゴが退散してくれればいいのだが… 。貴婦人のような凛々しいミサゴに免じて大目に見てやってほしい。